第一章

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第一章

 今の時代なら考えられないことかもしれない。だが私たちが青春という日を過ごした頃はそれほど珍しいことでもなかった。綾美は幼い頃に親が決めた私の婚約者だった。  私たちがそんな関係になったのは、私がほんの十歳の頃。二つ下の綾美はまだ八歳だった。  家を継ぐことが決まっていた一人っ子の私と、祖父の旧友の孫であった綾美。私たちは『婚約』という言葉の意味もよくわからないうちに、そうした関係になっていた。  特に何があるというわけではなかった。ただ家同士がとても仲良く、私たちも幼馴染として兄妹のように仲良く過ごしていた。  高校一年の夏、フミくんと出逢うまでは、私も私と綾美の関係に苦痛を感じることはなかった。いやそれは間違えている。私は今までだって一度も綾美との関係に苦痛を感じたことはない。彼女に対して感じていたのは愛しさとそれを上回る懺悔の念だ。苦しかったのはいつもそんな自分自身の気持ちだけだ。  綾美は決して美人とは言えないが、よく笑う愛嬌のある少女だった。私はクラスの中で目立つこともなく、スポーツも勉強もそこそこのありふれた普通の男子だったと思う。周りの友人たちが恋愛話に関心を示す中学生になっても、特に心躍る女子もおらず、それはひとえに綾美という婚約者の存在があるからだと思っていた。綾美もそんなことを言っていたと思う。そして彼女は私を好いてくれていた。 「きっと博さんがいるからだと思うの。子供の頃からずっと『綾美は博くんのお嫁さんになる』って周りから言われてきて、すっかり暗示にかかっているのかしら」  そう言いながら微笑んだ彼女の頬は、咲き誇る桜の色を移したように染まっていた。そこにある小さな笑窪は彼女の幼さと可愛さを強調しているように感じた。
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