綾美  Ⅰ

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綾美  Ⅰ

 (ひろし)さんとの婚約。それは五歳の私の幼い夢を祖父に伝えたことから始まった。 「綾美は大きくなったら、博ちゃんのお嫁さんになりたいの」  幼い私が耳元で囁いた言葉を、祖父はとても喜んでくれた。  祖父と博さんのお祖父様は戦友だった。小学校の授業で習った第二次世界大戦は、私たちが生まれた頃にはその爪痕も感じなかったけれど、祖父たちは終戦前ぎりぎりに召集され、敗戦の後のしばらくをロシアで過ごしたらしい。 「人間扱いもされない辛い辛い日々の中で『どちらかが生きて帰ったら』という話を毎夜のように交わした関係だった」  私が小さな頃から、祖父はそんな話をよく聞かせてくれた。だからこそ、祖父にとって私の幼い夢はとても嬉しいことだったのだと思う。戦友であり親友でもある博さんのお祖父様と、共に生きて帰れたあと、その命を共に繋ぎ、次代に残せていける感慨深いことだったのだろう。  博さんのお祖父様も、祖父から聞いた私の夢に大賛成をしてくれた。私の両親も博さんのご両親も、私の願いを微笑ましく受け入れてくれた。そんな時代だったのだ。  当の博さんも、嫌がることはなかった。祖父の命の灯があと僅かだとわかった私が八歳のとき、私と博さんは限られた両家の親族だけの前で結納を交わした。  博さんは当時通っていた小学校の制服で。私は七歳の七五三で作ってもらった晴着を着て。二人で赤いふかふかの座布団に並んで座った。  それから十二年、博さんが大学を卒業し、お祖父様が起こしお父様が社長を勤める企業に就職したときに、私たちはもう一度二人で並んでお神酒を受け、祝言をあげたのだ。  五歳の頃の初恋が実を結んだ瞬間だった。
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