第二章

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 フミくんに対する気持ちが、綾美に対するそれと違うものだと気づいたのはいつだっただろう。何かの拍子に彼に肩を抱かれたときだ。  それは決して特別なことではなく、クラスの他の男子にもよくされたことだった。もちろん誰にそうされても不快な気分になどなったことはない。ただ、フミくんの左腕が肩に置かれたときに、その腕があたっている場所が驚くほど熱く感じた。比例するように暴れ出した鼓動の響きが彼に伝わることを怯えた。それでも私の肩に腕をまわして笑う彼から離れることができなかった。婚約者である綾美とは手を繋いだこともあるし、キスをしたこともある。しかしこんな風には感じなかった。綾美との接触で感じる穏やかさとはまったく違う感覚。それが恋愛感情であることは、皮肉なことにクラスの人気者だった女子と付き合い始めたフミくんの口から教えられた。 「女子と付き合うのは初めてだから」  そう言って頬を染めながら笑ったフミくんの笑窪に胸が痛くなった。フミくんとの微かな接触にさえも体が熱を持ち、鼓動が早くなることは「ときめき」というものらしかった。  私が還暦を過ぎた今の時代は、同性に対してそんな「ときめき」を感じることは許されるらしい。だが本当にそうだろうか。まだまだ言葉だけが踊っている段階なのではないか。多くの人はそんな嗜好に嫌悪を抱くのではないか。テレビ画面のなかで「それは自由だ」と語る俳優の姿を見ても、その人物の本当の心はわからない。  ただ間違いなく私とフミくんが共に過ごした学生の頃は、そんな嗜好は誰にも隠さなくてはいけないものだった。異質とされ、日常から弾き出されないために。フミくんに対する私の気持ちは、決して誰も幸せにしないものだと充分にわかっていた。私の家族も、綾美も、フミくんも、そして私自身も……。  だからすべてを勘違いだと思うことにした。そうして高校を卒業し、私は大学に進み、フミくんはとある企業のサッカー部に入ることになった。その企業の総務部に席を置き、本業はサッカー。まだJリーグがない時代のことだ。  そのまま地方に行ってしまったフミくんとは、しばらく会うこともなかった。  何度も何度も会いたいと思ったし、母校のグランドを見に行ったりもした。そこで走るサッカー部の少年にフミくんの姿を重ねてみたり。それでもそんな懐かしさも想いも、単なる友情を懐かしむものだと言い聞かせていた。大学の四年間をかけて自分にかけ続けた暗示は、卒業の頃には疑うものではなくなっていた。もちろんそこには何も知らずに常に寄り添ってくれていた綾美の存在がある。  いつだって綾美は側にいてくれた。そして彼女の側にいるときの安らぎこそが愛なのだと、恋愛感情なのだと思うようになっていた。  私は異質なのではない、普通なのだと何度も心で呟くことこそが、異質なのだと気づきもしなかった。
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