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私の手にあった缶コーヒーを取って、フミくんはプルトップを開けてからもう一度渡してくれる。
「ゆっくり飲んで」
そう言われて口に運んだ。甘い甘いミルクコーヒーは、体も気持ちも温めてくれる。
「フミくん……ごめんなさい」
缶コーヒーを見つめて言った。
「『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』がいいな。『プルトップ開けてくれてありがとう』」
フミくんがわざと作った高い声で言うので、おかしくなった。吹き出しそうになったときに首筋の力が抜けたと思う。もう一口ミルクコーヒーを飲む。液体が喉を通るたびに少しずつ落ち着いてきているみたいだ。
「大丈夫? 博に連絡しようか?」
ハンドルに手を置いて言ったフミくんの方は見ずに頭を振った。
「うん……」
そう言ってくれたフミくんは、自分のコーヒーを飲んでからふっと息を吐いた。
「あやちゃん、博は俺の親友だけどさ、あやちゃんも友達だと思ってるんだ。だめかな?」
いきなり言われて少し戸惑う。でも
「だめじゃない」
と、答えていた。
「よかった。博の奥さんだから友達なんじゃなくて、『高校の頃からよく知っている友達』でいい?」
その違いがよくわからない。博さんの婚約者だったから出会ったのに。
「『博の奥さん』って枕詞を外したら、友達の悩みを聞いても博に話さなければいけないってことはないよね?」
フミくんの言いたいことが少しわかった気がしたと同時に、店内での彼の声を思い出していた。『俺を探していただけだ』フミくんはあの男性にそう言ってくれた。
……フミくんは、私があの変な部屋に入ったことを知っていたのかもしれない。
「フミくん、見たの?……博さんには…言わないで」
手の中の缶コーヒーを見つめたままで、零れるように言ってしまった。
フミくんはさっきより大きく息を吐いてから、「迷って入ったの?」と質問で答えて私の答えを待たずに続ける。
「あの場所がどんな場所かよく知らなかったんだよね? よく似た人がいるなと思ってたら、あそこに入っちゃってすぐに出て来たとき、あやちゃんだとわかった。知らないふりをしようかと思ったけど、しなくてよかった。好奇心かと思ったけど、あやちゃんはそういうタイプじゃないよね? 迷いこんでしまったのかと思ったけど、躊躇ってから入ったよね? 何か理由があるんだよね?」
ゆっくりと一言一言言葉を探すように、フミくんは話す。言われていることがぽつんぽんと耳から沁みて澱になって私を汚していくようだ。
あの暖簾をくぐらなければよかった、この店に来なければよかった、ううん、私はどこから間違えていたのだろう。
項垂れることしかできない私の耳に、フミくんの意外な言葉が飛び込んでくる。
「俺は友達として君の相談に乗れないかな? あやちゃんが頑張った勇気をどうしてあんな冒険に使わなければいけなかったのか。もし誰かに相談することが憚られるのなら俺は君の穴になるよ、『王様の耳はロバの耳』って床屋が穴を掘って言ったみたいに吐き出したら楽になることもある。もちろん友達の秘密は決して誰にも言わない。あやちゃんがそれを信じてくれるなら」
フミくんの意外な言葉が、ミルクコーヒーと一緒に温かく体中に染み渡って行くような気がした。
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