綾美 Ⅳ

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 フミくんは自分のコーヒーを飲みながら、何も言わない。その時間が私の迷いを待っていてくれている気がした。  博さんの親友に、博さんに言わない方がいいことを相談するって変だと思う。でも私の友達に相談するのならどうだろう。  卒業してから真由美ちゃんや淑子さんと過ごした時間よりもずっとずっとたくさんフミくんと同じ時間を過ごしてきたように思う。  二人目のお子さんを授かったことを、私の気持ちを考えて言わなかった真由美ちゃんのことを考えたとき、私が抱えているセンシティブな悩みは友達に気を遣わせてしまうことなのではないかと思えた。だけど糸口は見つからない。どうすればそこに辿り着けるのかもわからない。  結婚することも、子どもを授かることもフミくんが考えていないなら。でも……。  そんな風に何も言わずに考えている時間、フミくんも何も言わなかった。私は決心をして言葉を選び、それをまた脳内で反復させた。そしてゆっくりと口を開いた。 「東京に行ったの。短大時代のお友達に会って、そこにいた方に言われたことがとても気になってしまって……」  そこまで言って止まった。フミくんは小さく頷いたけれど、やっぱり何も言わなかった。 「大庭建設興産はいい会社だから後継が必要なの。それが社会のためでもあるの。社会なんて言われてもよくわからないけれど、私は大庭の後継者を産まなくてはいけないの。でも私には授からない。私のせいで……」  何も言わないフミくんに向かって言っているのか、独り言なのかわからなかった。でもそのとき、また涙が溢れてくる。泣くつもりなんかないのに、悲しいわけじゃないのに。  フミくんは黙ったままでポケットからハンカチを出して私に渡してくれた。バッグの中には自分のハンカチがあるのに、私はそれを受け取って目尻を押さえていた。  そんな様子を見て、フミくんは体ごと私の方を向くと、 「健康診断は受けている?」 と、まったく関係ない質問をする。私は訳がわからずに頷いた。 「毎年? 婦人科も?」  フミくんはもう一度ハンドルに腕をかける姿勢に戻る。私はまた頷いた。 「何か引っ掛ったとはある?」  それはない。いつも健康で問題ないと言われてきた。だから首を振った。  フミくんはポンとハンドルを叩くと 「じゃあ、何もあやちゃんのせいじゃないよ」 と、少し大きな声で言ってにこりと笑う。  そうだ、私の体には授からない理由があると言われたことはない。だからやっぱり『オーガズム』が関係しているに違いないんだ。 「私の体に問題はないと思うの。問題があるのは……私の精神的な幼さなんだと思う。だから勉強しようと思ったの。『官能的な小説』というのを読んだら、もっと性のことがわかるのかもしれないから」  ミルクコーヒーの缶とフミくんのハンカチを握りしめていた。
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