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咄嗟にフミくんのハンカチで目を押さえる。まだ雫にはなっていなかったけれど、フミくんは私の仕草に気がついたと思う。
気持ちを落ち着かせたくて、小さく小さく深呼吸をしながら別のことを考えてみる。フミくんは『官能小説』というのを読んだことがあるんだ、あの部屋で買って。
そんなことを考えた途端、私が入ってしまったときのあの部屋にいた人の表情を思い出してしまった。そしてふと思ったことが唇から零れた。
「博さんも読んだことがあるのかな」
それは一瞬沸いた疑問で、ただ零れてしまった言葉で、フミくんに聞いたつもりではなかった。でもフミくんは、
「無いな」
と迷いなく答えてくれた。
「あいつは昔からそういうことに淡白だったからね。男友達とエロ雑誌とか見てても、いつの間にかスッと消えてたし、クラスメイトの家で男だけのビデオ鑑賞会と名打ってアダルトビデオ観たときも、博はいなかった。なんて言うかそういう物に嫌悪感持ってるみたいで……」
宙を見ながらそこまで言ったフミくんは、はっとした顔をしてから
「ごめん!」
と謝る。
「嫌悪感」という言葉にチクリと胸を刺される。博さんが嫌悪感を持つようなことに私は……。「ご主人には言わない方がいい」と言った淑子さんの声が脳内でエコーをかけたように響いて聞こえた。
そしてフミくんに話してしまったことが、やっぱり大きな間違いに思えた。
「ごめん、『嫌悪感』って大袈裟だよな。ただ興味がなかっただけだと思う。あいつは真面目だからきっと文学的な作品から性の知識を得ていたんだと思うな」
フミくんは取り繕うように慌ててそう言ったあと、ピンと右手の人差し指を立てる。
「そうだよ、文学的なものから始めよう!あやちゃん!」
慌てたままの早口でそう言うと腕を組んで考えている。
「セクシャルなシーンはあるけど、ストーリー重視の恋愛映画を観るってのはどうだろう? 辛くなってきたら目を閉じればいいんだし」
フミくんは大発見をしたように拳で掌を叩きながら言うと、今度は顎をつまみながら「たとえばあ……」と歌うように語尾を伸ばしながら目を閉じた。
「やっぱ洋画の方がいいよな……」
独り言みたいに言ってから、またポンと掌を叩いた。
「あっ! あやちゃん『月夜の恋人』って映画観たことある?」
フミくんは真剣な顔で体ごと私の方を見た。タイトルは聞いたことがあるような気がするけれど観たことはない。フミくんの言いたいことがよくわからないまま、黙って首を振った。
「洋画なんだけど、ラブストーリーでさ。そんな複雑なストーリーじゃないんだけど、映像がすごく綺麗なんだ。セクシャルなシーンもあるんだけどとにかく綺麗だから、あやちゃんも博も抵抗なく観れると思う」
いきなりフミくんが映画の話をしてくるのでわけがわからなくなって、だからさっきまでもやもやと心にまとわりついていた『間違えたかもしれない』という気持ちのトーンが薄くなっていく。
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