綾美 Ⅳ

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 12月30日。博さんは出かけに「今日が仕事納めになる」と言っていた。いつもより少しだけ遅く出かけた博さんにお弁当を作った。その残りが私のお昼ご飯になるのはいつもと一緒。  でも博さんが出かけたあと、腕捲りをして冷蔵庫を開けた。お義父さんが取り寄せてくれた高級な数の子は大きなボールいっぱいの塩水に漬けてもう塩抜きはできている。水をこぼしてしまわないように気をつけながら、冷蔵庫から大きなボールを出した。  博さんと結婚してから毎年12月30日は数の子と格闘する日だ。  大晦日の夕方からは大庭の家に行く。年越しそばも、お節料理もあちらでいただくので私は作らずによい。それはとても助かるけれど、年末の私の仕事はこの数の子を料理することだった。  料理と言ってもたいしたことではない。ただ量が凄い。  大庭の家では私が家族になるまで数の子は、塩抜きをして薄皮を剥いたものをお刺身のようにお醤油とわさびで食べていた。私の実家では薄皮を取った数の子をオリジナルの醤油出汁に漬ける。結婚前も何度も大庭家と叶野家で一緒にお節料理を食べる機会があったのだけれど、実は大庭のお義父さんは叶野家の数の子が好きだったらしい。  結婚して最初の年に叶野家の数の子をリクエストされて作って持って行った。その年の年末に、北海道から高級な数の子が一箱送られてきてその後も続いている。母が元気なうちに醤油出汁の作り方を教えてもらっていて良かったと思う。今、叶野の家ではお義姉さんがこの数の子を作ってくれている。でも母の味とは違うと兄がこっそり教えてくれたことがある。母は兄が結婚した頃はもう作り方を覚えていなかった。  大掃除はもう終わっている。玄関のお飾りと門松は、今朝博さんが飾って行ってくれた。だから午前中たっぷりかけて、数の子の薄皮取りをする予定。  ガスコンロでは大きな鍋にいっぱいの醤油出汁がいい香りを立て始める。削り鰹は昨日大量に作ってある。醤油出汁が沸騰したらこの削り鰹を全部入れて火を止めて冷やす。漬け汁の準備も万端。出汁が冷めるのを待って数の子と格闘開始だ。  まるで料亭のような量の私が作った数の子は、お年始で大庭を訪れる方々にも振る舞われた。そんなときにお義父さんは自慢気に「綾美が作った」と言ってくれる。初めてそれを聞いたときは、私がちゃんと大庭家の人間になれたことを感じて嬉しかった。  塩水で塩抜きをした数の子の薄皮を、重曹をまぶしてゆっくりと擦り取る。残った部分は竹串を使って取っていく。地味で単純な作業をひたすら繰り返しながら、ここ何年かはいつも同じことを祈っている。お節料理というのはそういうものだと思うから。  小さな卵たち、私のお腹に宿ってね。小さな命になって私のお腹に宿ってね。  そんな風に祈りながらこの作業をするのは何回目だろう。  黙々と指先を動かしながら、そんな祈りの間にクリスマスの映画作戦のことを思い出していた。結局あのフミくんの作戦は成功だったのかしら。
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