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第三章
考えてみると、我が社の今の成長は元々はフミくんのおかげだったのかもしれない。
あの夏、彼のことを『フミくん』と呼ぶことを許されてからは特に、私はフミくんの親友に相応しい人物にならなければいけないと悟った。なんとなく生きていたそれまでとは違い、自分がそこからでもできることにひたむきに努力をするようになった。最も顕著にその結果が現れたのは勉学の成績だった。
元々、親の会社を継ぐことが決まっていたこともあって、必死の努力という言葉は私の体内辞書にはなかったように思う。しかし、何もかも中の中という場所にいては、彼の隣に立つことはできないという思いが、私のなかにはなかった『必死の努力』という言葉を滾ぎらせてくれたのだろう。結果、それまでの進路指導よりもツーランク上の大学で経営学を学ぶことができた。
後継として強制的に学ばされたのとは違い、自ら向上心を持って学ぶことは楽しかった。
「それでも最初は現場から」という父の主義に従い、父が経営する我が社に新入社員として身分を隠して入社した。
建設会社を営む父から夜は経営について学び、昼間は荒々しい職人たちに現場で鍛えられながら、通常よりずっと早く仕事を覚えることができていた。
そうして過ごした日々のなかで、綾美の父親に胃癌が見つかった。私と綾美の結婚は予定より早く執り行われることとなった。
異論はなかった。それは父の会社に入ることが決まっていたように、私の人生にとってスムーズに決まっていたことで、私が淡々と努力をしていた時間も綾美は常に寄り添い見守ってくれていたのだ。
「フミくんにも来てもらわなきゃね」
式の招待状の準備をしていた綾美がぽつんと言った言葉に、ほんの少し動揺したことが意外だと思うくらいに、フミくんへの想いもひっそりと私のなかで繭に包まれていた。
当時、実業団のサッカークラブというものは、メジャーな存在ではなかったように思う。ワールドカップやオリンピックに日本代表で収集される選手たちの名でさえ、世間に多く知らしめられることはなかったかもしれない。そしてフミくんの名は残念ながらそこに入ることはなかった。
地方に行ったフミくんとの手紙のやり取りも年々減っていた。手紙を出し、戻ってくる。その間隔をフミくんに合わせる間に少しずつ疎遠になっていたように思う。そして私も日常が忙しかったのだ。それでも私が大学生の間は、数回は会っていた。最後に会ったのは綾美と共にフミくんがいる都市に旅行に行ったときだ。
「結婚式には呼べよ! だから試合シーズンは避けてくれ」
そう言って笑ったフミくんの日に焼けた口元には、懐かしい笑窪があった。
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