Serendipity

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 一瞬、彼の手をまたベッドに拘束しようかと思ったけれど、どれくらいの時間で戻ってこられるかが判らなかったから止めた。  その代わり、外に出てから玄関を内側から開けられないように固定した。  後から考えると、玄関だけをどんなに締め切った所で、本当に逃げようと思ったら窓からだって出られるのだけど。  その時は、とにかく玄関さえ固く閉ざしておけば平気のような気がしていたのだ。  あまり派手に玄関の前を塞いでいると、近所から不審に思われてしまうから目立たないように工夫を凝らして、それからようやく俺は出掛けたのだった。  彼のアパートから養護施設の事務棟までは、徒歩で20分ほどだ。  自転車でも使えばいいのにと言った俺に、彼はキッパリ「乗れない」と答えた。  今時、自転車に乗れないヒト…と言うのも珍しい気もしなくもないが、そういう事はヒトそれぞれだからそんな物なんだろうとその時は思った。  かくいう俺は自転車に乗る事は出来るのだが、彼が所有していない物を俺が持っているワケが無く、結局徒歩で目的地に向かったのだが。  勤め先に欠勤を告げる電話をする為に公衆電話を探し回って無駄に遠回りをしたものだから、辿り着いたのは40分ほど経過した後だった。  こう世間に携帯電話が普及しては、公衆電話が減るのも当たり前なんだけど。  しかし持っていない身としては、もうちょっと残しておいて貰いたいと思う。  今の俺の状況において携帯電話なんて持つのもバカバカしい代物だから、それが欲しいとは思わないけれど。  元々あまり出入りの少ない事務正門は、出勤時間も過ぎてほとんど人影もなく。  俺が門を抜けると、いかめしい制服を着た警備員が胡散臭そうにチラッとこちらを見た。  中に入って受付に行くと、そこもまた人影がない。  まぁ、養護施設を管理する為の機関なんぞ、それほど人の出入りがある訳でもないから仕方がないだろう。  奥に向かって声を掛けると、いかにも事務員然としたネイビーブルーのベストを着た女性が面倒くさそうに顔を出す。 「東雲柊一の代理の者なんですけど、今日はちょっと体調が優れないので休みます。それで、東雲から今日どうしても無いと困る書類というのを預かってきているんですが……」 「あら、珍しいわね東雲さんがお休みなんて。判りました、では書類をお預かりします」 「いいえ。…あの中師所長サンに直に渡して欲しいと言付かってきているので………」 「そうですか? それじゃあ、そちらで少しお待ち下さい」  ますます面倒くさそうにそう言うと、事務服の女は奥に引っ込んでいった。  俺はしばらくそこに立って待っていたが、いつまで経ってもなんの音沙汰もないので仕方が無くそこに置かれているパイプ椅子に腰を降ろす。  さっさと用事を済ませて帰りたいと思っていたから、いっそあの女に預けてしまえば良かった! と思いつつも。  彼に頼まれた書類を、言付け通りに所長に渡さないまま帰るのはやっぱり少し後ろめたかったから、我慢して待っていたが。  20分経っても30分経ってもそのまま放置されて、さすがに腹が立ってきた。  立ち上がって声を掛けると、先刻とは違う同じ服装の年配の女性が出てくる。  事情を説明するとそのおばさんは、ちょっとビックリしたような顔をして見せた。 「ちょっと、その書類見せて貰えるかしら?」 「………はい」  俺は一瞬迷ったが、預ける訳じゃないのだから構わないだろうと思い、カバンから書類を出す。  おばさんはちょこちょこと中身を改めると、側に置かれてるビジネスフォンに手を掛けて内線の番号を押した。 「こちらにどうぞ」  内線で誰かと話をしたおばさんは、中に入るように促してくる。  どうやら、最初の女は俺の話をロクに聞いちゃいなかったのか、それともどうでもイイと思ったのか、とにかく俺のコトは完全に忘却して放置になっていたらしい。  もしかして、コレを予想して彼は俺に「所長以外に渡してはいけない」と言ったのだろうか?  奥に連れて行かれて、エレベーターに乗せられる。  数階上がったところでエレベーターを降りると、ちょっと薄暗い物静かな廊下へと進む。  元々静かな事務棟ではあるが、それでも1階は人のいる気配があった。  しかしこの階は、まるっきり人がいない感じがして。  それこそ、事務服のおばさんが履いているローヒールの靴音と、俺の履いているスニーカーのゴムが床に当たる音だけしかないみたいなのだ。  半ば薄気味悪さを感じているところで、おばさんが一つの扉の前で止まった。  ノックをしてから扉を開け、おばさんは俺に中に入るように促す。  俺が扉の向こうに進むと、おばさんはその後から室内に入って扉を閉めた。 「所長、お連れしました」 「ああ、ご苦労様。さぁ、どうぞ」
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