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十八歳の誕生日を迎えた春、俺はカバン一つを手に持って行くアテもなく駅のベンチに座っていた。
頼るべき親や親戚が無いも同然だった俺には、行くべき場所も将来すら見えていない。
ただ途方に暮れて、ホームに流れ込んでくる電車を眺めているだけだった。
まとわりつくような小糠雨が降っていて、春と言っても肌寒い。
各駅しか停まらないしょぼくれた駅舎には申し訳程度の屋根しかなく、俺の全身はすっかり湿っていて、濡れた服がますます現状を惨めにさせていた。
「神巫!」
電車が走り去り、ホームの人影がまばらになった頃に。
不意に改札の向こう側から俺を呼ぶ声がする。
びっくりして振り返ると、そこに男が一人立っていた。
「東雲サン?」
立ち上がって間近に寄ると、東雲氏は整った相貌に柔和な笑みを浮かべてみせる。
「寮を出てから申し訳ないんだが、提出された書類に不備があってな。悪いが一度官舎に来てくれないか? 外にタクシーを待たせてあるから」
「でも俺、もう切符買っちゃったし」
「払い戻せないようなら、俺が立て替えるから。後になると余計に面倒なんだ。済まないが、頼むよ」
なんとなく格好がつかずに切符の代金などを言い訳にしたが、実際のところ「初乗り運賃」程度しか支払っていない。
東雲氏は俺に向かって両手を合わせて見せたが、そんなコトをされる以前に俺はもう「見知った顔」に声をかけられて心底安堵の息を吐いていたのだった。
官舎に行くと、東雲氏は書類を持ってきて、親切丁寧に間違っていた箇所を訂正してくれた。
東雲氏は、児童相談所の職員だ。
と言っても、東雲氏は児童相談所の事務員に過ぎず、実質的な活動に携わっているワケではない。
俺は、10歳の時に養護施設に入所して、それから8年の間をずっとそこで過ごしてきた。
東雲氏は俺が入所していた養護施設の事務員で、総務課のなんとかいう役職の人間だ。
養護施設とは、即ち「諸事情により親が面倒を見る事が出来なくなった子供」を収容し、国やら地方自治体やら関係機関が代わりに面倒を見る場所である。
俺の母親は、俺を孕んだ時にオトコに逃げられた。
逃げたオトコ……というのが、つまりは俺の父親らしいが、逃げたぐらいだから俺は認知されていない。
認知どころか、俺は父親の名前も顔も知らないのだが。
顔も知らない父上サマは、最初からオンナに対する誠意など更々無かったらしく、同棲という名のヒモライフをたっぷり楽しんでオンナの骨の髄までしゃぶり尽くした挙げ句に、オンナが妊娠した途端、新たなターゲットとして目を付けたオンナと逃げてしまった……らしい。
捨てられたオンナ(つまりは俺の母親だが、これまた親とは呼びたくもないのでA子と呼ぶ)は、仕方がないから児童相談所に駆け込んだ。
A子としては「腹の中に詰まっている余計者(俺)」をさっさと堕胎したくて、児童相談所に医者を紹介して欲しかったのだが、窓口の職員はあいにくの熱血漢で結局俺を産む事になってしまったらしい。
それでもこの頃のA子には、まだ(消費税程度の)親子の情とか母親の愛とかがあったらしく、俺の持っている数少ない家財道具の中に含まれる数枚の写真にはA子とのツーショットがある。
しかし、俺が物心つくかつかないかの頃に、A子はオトコを連れてきた。
もちろん俺の父親ではなくて、勤め先のバーで知り合った新しいオトコだ。
とりあえず、B作と呼ぶ。
このB作は俺にはほとんどなんの興味もなく、A子ともそれなりによろしくやっていた。
ハッキリ言ってオトコを見る目が皆無に近いA子にしては、ずいぶんマシなモノを掴んでいた……と言えるだろう。
もしB作とA子がこのまま丸く収まっていたら、常識人のB作は実子ではない俺に対してもそれほどひどい父親にはならなかったんじゃないか……? と、今更ながら思うのだが。
現実はそうならず、だらしのないA子の性格と金にうるさいB作の性格が日増しに衝突するようになり、俺が幼稚園に上がる前に二人は別れてしまった。
それからしばらくは、A子と俺だけの生活に戻る訳だが。
しかしB作と別れてからのA子は、酒とオトコにますますだらしがなくなった。
ほぼ毎日のように客の一人と一緒に帰宅して、飲んだくれた挙げ句にセックスをする。
客を連れ帰れなかった日は、あろう事か俺に寝床の相手をさせた。
だが、近親相姦がどうの…とかいう以前に、まだ精通もないガキの俺には何をしているのかすらよく判らず。
ひたすらそれは「恐怖の記憶」となっただけだった。
思春期を迎えてようやくあの「恐怖」の意味を知ったが、知った所で今更なにがどうというワケでもない。
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