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1、夏に来る間夏生
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「おっはー! もうすぐ夏終わるけどどうする何するどこ行く〜?」
今年も来たか、間夏生が。そういえば今日は8月31日だ。右手に赤いメガホン、左手に浮き輪、真っ白いワンピースはふわっとした素材で袖がなく可憐だが、話し方がもう、夏生すぎて体に力が入らない。
「うわ……え、あぁ……久しぶり……」
僕はベッドから半身持ち上げた体勢になったはいいが、どうしたって言葉らしいものが何も出せなかった。語彙力を失うとはまさにこのこと。だってここ一応僕の実家だし個人の部屋だし。急に出てきたらゴキブリの次くらいには驚くだろ。あとメガホン何に使うんだよ。彼女は三白眼の吊り目をニーッと猫娘のように細めて僕に顔を寄せた。
「今年も白肌たもってるぅ〜!」
人の見た目は褒め言葉でもあまり指摘するもんじゃないだろうよ褒められてないけど……母さんなんで部屋に通したんだよ……チラッと壁掛けの時計を確認すると午前6時半。
「何時だと思ってんの……」
元気すぎるだろ小学生だって寝てるやついるよ。そうだ、夏生という生き物はとにかく勢いがあった。待ち構える蟻地獄か、滝壺か、それはもはや大自然を前にして抗えない自己の小ささを思い知る瞬間でもあり……
「コレ、アキラの分!名前書いといたよーん」
目の前のサイドテーブルにA4サイズの冊子をポイッと置かれる。ホチキスを左端に2箇所止められた表紙には『夏の思い出』というタイトルらしきものと、カブトムシと太陽と浮き輪とスイカの手書きイラストが描かれている。その下のほうに『あきらん☆』との素敵な記名入り。去年は同じ字体で『あっきぃー☆』だったのをおぼろげに思い出した。今年で何回目だったか。
「あ、コンビニ行ってくる!7時に出発するからよろたの!」
彼女は、アキラママー!行ってきまーす!と大声で僕の母に呼びかけながらドタタタタッと慣れた足取りで階段を走り降りて行った。仕方なしに僕はとりあえず出かけられるくらいの身支度をはじめる。
夏生とはいわゆる幼馴染だ。幼少期はよく一緒に遊んだ。小中は同じ学校だった。クラスが一緒になったことも何度かあった。高校はお互い行きたいところに受かった。で、今、僕たちは24歳。8月31日を一緒に過ごすのは……もう、5年目。今までの8月31日を振り返りながら、去年はプールに行ったっけな……水着持ってなくてその場で買ったんだ……その水着どこにしまったかな……僕はクローゼットをゆっくりと開けた。何があるかどこへ行くのかわからないから、とりあえずの白いTシャツにベージュの短パンを身につけ、それ以外に何組かの着替えを大きめのリュックに詰め込む。人が階段を登ってくる音がした。夏生じゃない、多分母さんだ。ノックと同時にドアが開く。
「今年も来たね」
母はもちろんノーメイクで寝巻きのままだ。
「一言くれると助かるんだけどまぁ、それは違うんだろうからね」
これでなんか買いなさいよ、と僕に向かって5000円札を差し出した。遠慮しようとすると『あんたのために使わなくていいの』とスパッと切られ立ち去られた。7時までの十数分、夏生が持ってきた『夏の思い出』に目を通す。ほどなくして、
「アキラー!アキラママが車貸してくれるってー!やったねー!」
という大声が家中に響いた。荷物の中に新たにタオルやサングラス、予備の靴下などを入れて階下へと向かった。
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