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夏の夜、猫と透明人間
暑い夏だった。
それまで私の週末は、一週間分のパンやら肉やら野菜やらを調達すべく、近所のスーパーへおもむくのが常だったけれども。この酷暑には参った、日中はとても出歩く気になれなかった。
だがしかし飢えて死ぬわけにもいかず。それで覚えたのが、単純な話、陽が落ちてから行くというもの。これならば暑くないし、日焼け止めを塗る手間も省ける。しかも暗いなかであれば、すっぴんで歩く心もとなさもだいぶ軽減される。
薄いトートバッグを肩にかけ、人通りのない夜道を行く。郊外の、こんな老人ばかりの町は、詐欺電話が多いことを除けばずいぶん治安もいい。
イヤホンを外してみた。シーンとしている。気の抜けたサンダルの足音は、平らなコンクリートに吸い込まれる。シーンとしている。田舎のくせして虫は少ない、鳴く虫となればもっと少ない。星もあまり見えない、月もごく小さい。見どころがない。シーンとしている。
あれは昔、高校生が飛び降りたというアパート。この先には昔、自転車の子供が老婆を轢き殺してしまった坂。左に見える電話ボックスは、夜闇の中であんまりにも明るくて、でもどこかぼんやりした光で、たぶん誰も入りたくないと思う。
この道は本当に人気がない。私しかいない。いや、
(猫だ)
何もないゴミ置き場に、白いのと三毛のが一匹ずつ。それぞれ、片耳の先がちょきんと切り取られている。この辺りに住み着いた、最近は地域猫と呼ぶのだろうか。
寄り添うではなく、かといって喧嘩するでもなく。無言のまま目で語り合う二匹の傍を、私はてくてくと通り過ぎた。
(猫だ)
今度はアパートの花壇。黒くて大きい猫がすんなりと、こちらに背を向けて座っている。すぐ傍を、私はてくてくと通り過ぎる。道の先が明るい。スーパーはもうすぐそこだ。
(猫って、本当に猫背なんだなぁ)
犬好きの私は、そもそも猫の知識がない。
道端で猫を見かけることはある。それこそ、この夏の前までは、日中にあの三匹と何度も遭遇していた。
だが、そういう猫に興味本位の視線を注ごうものなら、必ずといっていいほど逃げられてしまう。まず猫の性質がそういうものなのか、それとも私の体が大きいのがいけないのだろうか。
どこかで、猫を見るのは敵意を向けるのと同じだと聞いた。それから私は一切猫を直視しないようにしている。そうすると、確かに猫は逃げなくなった。
だけど本当は、すごく見たい。できることなら触りたいし、写真も撮ってみたい。見ることができないのだから不可能だと思う。しかも猫は、私が横目で確認する限り、逃げはしないが、こちらが去るまで遠巻きに毛を逆立てて睨みつけている。
そんな私が、この夏に気づいたこと。
夜であれば、猫はあまり私を警戒しない。すぐ傍を通っても、こちらに目を向けたりしない。しかも、猫同士で寄り集まり、昼間よりもずっと穏やかに自然に過ごしているように見える。
でも私は、昼間と同じように、なるべく目を向けないまま通り過ぎるばかり。何もできないのだ。静かで涼しい夜、せっかく猫が楽しそうにしているのに、私が妙なことをしたせいでぶち壊しにしてしまったらと思うと。
近頃はもう、逃げずにいてくれるだけで満足だ。昼よりも近い距離、透明人間になったような気分で、私はてくてくと通り過ぎる。
買い出しが終わった。外に戻る。伸びをしたくなったが、エコバッグが重いので諦めた。
ただ息を吸い、そして吐く。光に背を向けて、もう一度歩き出す。イヤホンはポケットにしまったまま。おもしろくもない空を眺めて。
夜闇はいつもより深く、空気からも異常な熱は抜けた。もう九月も半ばを過ぎている。すぐさま秋になっていくはずだ。
暑くなくなるからには、夜の買い物も、もうそろそろやめる。いくら治安がいいといっても、やはり褒められた習慣ではない。
私を見かけなくなっても、あの三匹はいつも通りやり続けるだろう。そして昼間、透明ではなくなった大きい女に、またよそよそしく出会うのかもしれない。
「はは」
夏の終わりを味わいながら、帰る。
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