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縲のはきはきした愛想笑いが、一瞬固まった。
貴婦人相手に軽んじられないようにと着込んだ古着の洋装の窮屈さで、もともと神経がささくれている。
そこをさらに逆撫でされたのではたまらない。
(お縲、って、こちとらあんたの女中じゃないんだけど!?)
巻き舌でそう言い返してやりたい。
とはいえ縲も、もはや小娘ではない。
世知辛い世のなかを自分ひとりの才覚で渡ってきて、すでに二十歳も越えた身だ。
これくらいあしらえなくてどうする、と奥歯を噛んで愛想笑いを改めて作る。
「申し訳ございません、奥方さま」
「ああ、もういいわ! あなたなんかの話より、速郎よ!! 速郎はどこにいるの!?」
子爵夫人は、胸よりも頭の血管を心配したほうがよさそうなきんきん声で叫んだ。
高木速郎。
ここ子爵邸に住みこんでいた書生なのだが、残暑も終わりかけのひと月前、不意に行方をくらました。
住まわせていた一室は塵ひとつ残さずきれいさっぱり片付けられ、学校にも音沙汰がなく、故郷に便りをやってみても実家はすでに引っ越しており、なんの手がかりも得られなかったという。
子爵夫人は、見るからに高価なハンカチをきいっと噛んだ。
「こうしている間にも、もしものことがあったら──ああ、速郎!」
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