1 謎めいた男爵家(4)

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「まったく仕方ねえな。こっちだ」  尤雄は身をひるがえした。 「ちょっ、待って!」  まだ洋装の裾裁きは難しい。尤雄の遠慮のない速足に遅れそうになる。  ち、とまた舌打ちが聞こえた。 「つくづく仕方ねえな」  尤雄は筒袖の裾ですばやく手をぬぐうと、ぐいと縲の手をひっぱって歩き出した。  がさついて大きな、温かい手だった。  そのままぐるりと建物を回った尤雄は、こぢんまりとした通用口のところで縲を待たせ、すばやく中をうかがった。  ふりむいて、小さくあごで合図する。 「右に行って、つきあたりを左だ。それでホールに出る」  見かけも態度は不愛想きわまりないが、助けてくれた恩人には違いない。  縲は力強くうなずき、礼を言った。 「ありがとう、ごめん」  尤雄はわずかに眉を動かした。 「おれと会ったとは絶対に口外するな」  早口ながらも歯切れよく忠告すると、尤雄はすぐさま立ち去った。  邸内に戻って通用口の戸を閉めて、縲は息をととのえた。  切り抜けた──そんな安堵と同時に、ひとつの疑問がむくむくと湧いてくる。 (……三里子爵夫人が言ってた書生って、本当にあれ?)
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