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馬車でつれてこられた距離のうえに、洋装で、しかも足は慣れない編上靴だ。
それで帰れとは無理無体にも程がある。
しかし他人の、特に下々の者の都合など想像すらできないらしい子爵夫人は、わずらわしそうに眉をひそめてきた。
「大丈夫でしょ、また人力車でも拾いなさい」
以前子爵邸を訪ねたときの人力車の車代は田友が出してくれたが、今回のこの事情では縲の財布から出ることになる。
先のわからない現在の懐事情から言って、それは避けたい。
「奥方さまは? 奥方さまがお帰りになるまで待ちます」
子爵夫人の眉間の皺がさらに深くなる。
もはや縲に向ける目は、うっとうしいものを見る目だ。
「十子さまがご親切にも、このあとソッサイエティのエチケット・ブックを見せてくださることになったのよ。あなたが見てもどうしようもなくてよ」
「そっさえてい?」
けげんな顔で聞き慣れない言葉をくりかえした縲を、子爵夫人ははっと鼻で笑った。
「ソッサイエティ、よ。ほらね、あなたには関係のないことでしょう? 帰りがいつになるかなんてわからないんですもの、待たれても困るわ」
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