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「あなたはまだ結婚していなかったわよね」
無表情な尤雄の顔に浮かんだかすかなとまどいに、十子の微笑は大きくなった。
「はい」
「お父さまやお母さまは何も言ってこないの?」
「はい」
「そう、いいわね。わたしも、父本人は何も言ってこないのだけれど、ほかの者がうるさくて。それも自分の都合ばかり」
と言った瞬間、その言葉が十子自身に返ってきた。
十子は微笑を消して尤雄の表情をうかがった。
「……ごめんなさい。仕事中のあなたをつかまえてこんな愚痴を言うのも、わたしの都合ね」
尤雄は伏し目の無表情で、その心のうちはうかがえない。
十子につきあいながらも機敏に焚火を観察していたようで、彼は手にしていた箒をくるりとまわして柄でつつき、燃えさしの手紙の端を火に入れた。
「それで気が晴れるのでしたら」
雇い主の機嫌をとろうという気配はまったくなく、といって適当にやりすごそうとしているわけでもない。
十子は十子の都合でそこにおり、自分は自分の都合でここにいる、ただそれだけのことだと言うかのような無頓着さだった。
その辺の木や岩が言葉を発したらこんな感じだろうか。
ふふっ、と十子はおもわず小さく笑った。
普段は絶対に口にはしない思いの端が、するりと声になった。
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