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田友のそんな言葉など、毛ほども信じていない。
それでも彼には、両親には先立たれ、祖父にも死に別れて孤児になったところを拾ってもらった恩がある。
──彪雄なんて御大層な名は重たかろう、今日からおまえは尤雄だ。
名を犬に似た字に替えられたときから、自分の立ち位置もわかっている。
受けた恩は返す、そんな自己満足な矜持のためだけに尤雄は田友に従っている。
「だがな、実行は少し待て。ばか女が拗ねてな。社の若い奴を使ってもいいが、やはり今回は女のほうが都合がいい。なに、すぐに機嫌は直る」
尤雄としてはどうでもいい話だった。
また来るように言いつけられ、尤雄は田友宅を出た。
そのときだった。
門脇の暗がりがふっと揺らいだ。
尤雄はとっさに腰の後ろの煙管に手を走らせた。
死ぬまで髷を結っていた文政生まれの祖父が廃刀令後に改造した、一尺一寸の喧嘩煙管だ。護身の役には十分立つ。
「──柳尤雄!」
暗がりから声がした。
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