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「わ、すみませんお取込み中のところ──ってあれ、誰もいないんですか?」
どきっと飛び出しそうになった心臓を押さえて縲がふりむくと、愛想のいい笑顔があった。
江那堂男爵家の御者、宮芝楓次だった。
にこにこと頭を下げてくる。遅れてぴょこりと、くくった短い髪が揺れる。
「やあ、来客中でないのならよかった。あ、でも、このあと何かご予定があるとか? いまのはその話の練習だったとか?」
からかっているのか本気で尋ねているのか、まるでわからない。
ともかく奇声を聞きつけられたことには違いなく、縲の頬にさあっと血がのぼった。
「なっなななんでもありません! それより急になんですかいったい!」
茶会のあとに送ってもらったので、彼がこの家を知っていることはわかる。
しかし訪ねてくる用事などないはずだ。
まさか疑惑をさらに深められたのかとか、それよりもっと悪い何かが起きたのかとか、悪い想像ばかりがふくらんでいく。
さっさとはっきりしてほしいのに、楓次はいたくのんびりしている。
「縲さんは、着物姿もちゃきちゃきっとしていていいですねえ。あ、もちろんこの前の洋装もお似合いですけど」
(そんな話をしに来たわけないでしょ!)
縲はおもいきり疑り深い目で楓次を見た。
どうやら彼は、すぐに帰る気はないらしい。
「……お茶はないですけど、井戸水でも?」
「ああ、せっかくのお誘いすみませんが、一服している時間がなくてですね。すぐに来てもらっていいですか?」
「え?」
楓次は姿勢を正した。
体に急に芯が入ったようにぴしりとし、表情も改まる。
「先刻、江那堂家で事件がありました。警察沙汰にする前に、探偵阿古村縲さまに解決していただきたく」
縲の目が丸くなった。
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