狂骨奇譚

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国境で起きた戦からすでに半年がたった。 立ち込めたきな臭い煙や、風と共に運ばれてくる血の香りも腐臭も雨が流し、土が吸い、その狂気の名残を示すものは少ない。だが村の男達に残った生々しい傷跡と、放り捨てられ山となった骨だけがそこで起きた事を物語っていた。 さて戦であれば勝った者も居る。負けた者も居る。手柄を上げた者。逃げ帰った者。傷を負った者、負わせた者。悲喜こもごもが入り混じる中でその女、ヨネの夫の源三郎は残念ながら家に帰る事は出来なかった。 ヨネと源三郎は幼なじみであった。同じ里に産まれ、同じ里で育ち、同じ物を食い、同じ物を見て育った。そんな二人が祝言を挙げたのは戦が始まる僅か三日前の事。 「何故」 ヨネは泣く、何故戦など起きたのだと。 「何故」 何故、あん人は帰って来ないのだと。 「何故」 せめて子が有れば救われたかもしれない。だが夫は子種すら残さずに逝ってしまった。 何故、何故と嘆き暮すヨネには食事も通らず、ふくよかだった身体は徐々にやせ衰え、肌も蒼白く、その命の火が尽きようとしていることは誰の目にも明らかだった。 そんなある日の事だ。 「この村にヨネさんという方はおられますか?」 旅の僧と名乗る男がヨネを尋ねてきた。 くたびれては居るが、上等でそうな法衣を着て、また表情は柔和であるが、眼光だけはギラギラと鋭い、そんな僧であったいう。 「ヨネはおいの娘ですが何か…?」 騒ぎを聞きつけたヨネの母親、トヨがおずおずと僧の前に現れると、僧は懐から小さな包袋を取り出し 「源三郎さんから頼まれたのです。」 そう静かに頭を下げた。 「私は禅円と申します」 その僧はヨネの家に通されると、既に布団から起き上がれなくなっていたヨネの前にそう名乗った。遥か近江国から来たというその男は修行と各地の死者の供養のために戦場を巡っているのだという。 「危のうはないんですか?」 恐る恐る聞くヨネの母が聞くと 「私には神通力がございますから」 そう言って、ヨネの肩辺りをじぃっと見つめると 「お父様も心配しておられる。ヨネさんの好物の団子を作れって必死におっしゃってます」 好物を当てられ、まぁと驚きの表情を浮かべるヨネに対し禅円は 「私は霊が見えるのです」 そう言って静かに微笑みを浮かべる 「見えるだけじゃなく、話すことも出来ます。だから危ない目に合いそうな時には霊が教えてくれるのです」 さて、ここからが本題だとばかりに姿勢を正す。ピンと引き締まる空気。 「先日近くの戦場跡を訪ねました。よほど酷い戦だったのですね。あちらこちらに霊が居て無念じゃ、無念じゃと訴えてくる。その中で一際大きな声で嘆く男が居ました。それが」 「あん人なんですね」 そうです。と禅円は頷く 「私は尋ねました。何がそんなに無念なのですか?と」 「何がそんなに無念なのですか?」 それは戦場跡には似合わない、優しげな男であった。だが腹に空いた大穴と血の気の無い顔が確かに死者である事を告げている 「坊さん、俺が分かるんか?」 「ええ分かりますよ。良ければ話してもらえませんか。貴方の力になれるかもしれない」 「俺には妻がおる。祝言を上げたばかりの」 男はああと己の頬を掻きむしる。 「俺はあいつに、何も遺せんかった。それが無念で無念で」 ああ、ああ、と幾度も頬を掻きむしる。掻いた部分の肉は剥げ、固まった血液がぼとりと地面に落ちる 「坊さん、せめてこれをあいつに届けてくれんじゃろうか。他の部分は何処いったか分からん。じゃっどもここだけは何とか残すことが出来たんじゃ」 そうして男は自らの足元にある小さな白い欠片を指さした。 「こうして預かったのがこれです」 禅円が包を開くとそこにあったのは白い小さな欠片。 「親指の骨でしょう、きっとほんの一部でも貴女の元に帰りたかったに違いありません」 「ああ!」 ヨネは悲鳴のような叫びと共にその欠片を受け取り、嗚咽を漏らしながら胸の中へ抱きしめる。 「貴女は生きねばなりませぬ。それが貴方の夫への最大の供養なのです」 そう一言だけ泣くヨネに声を掛けると、その村を後にした。 泣き疲れ、眠ったヨネが目を覚ますとぐぅと腹の虫が騒ぐのが分かった。 「生きなきゃならねぇ、生きなきゃ」 用意された重湯を一口、二口と啜る。 震える手でさじを口に運ぶその姿を見てヨネの家族はほっと息をついた。 数週間が経ち、骨の様だったヨネの手足や顔に肉が付き、笑顔も見せるようになる。 その姿を見た村人達も新しい旦那の世話をしなきゃならねぇななどと裏で話し合っている 胸から下げた源三郎の骨とともにまた強く、希望を持って生きていく。 だが、そこで終わらないのがこの話である。 深夜、トヨが目を覚ますとヨネの姿が何処にも見当たらない事に気付いた。 厠にでも行ったのだろうか?そう思い、しばらく待っていても帰ってくる気配は無い。 何処に行ったのだろう?探しに出た方が良いのだろうか? おろおろと悩んでいるうちに空が白み、そしてこっそりとヨネが戻ってくる。 「何処いっとんたんね?」 急に声をかけられその肩がびくりと跳ね上がる 「おっかあ、起きとったんね」 「あんたがおらんけん眠れんかったと。それでどこに行っとったん?」 幾度もそう尋ねても 「ちぃっとね」 そう笑って誤魔化すばかり。 「あんま心配さすんじゃないよ」 はぁとついたため息と共にその日はそれで話が終わった。 その日から村の外でヨネを見たという噂が時折流れるようになった。 曰く、夜道を楽しげに歩いていた。 曰く、鍬を持ち地面を熱心に掘っていた。 曰く、あちらこちらの藪に入り、何かを探しているようだった。 不思議な事にその噂はあの戦場跡付近で聞くことが多かった。 「あんた、あんなとこで何しとるん?」 トヨは幾度となくそう尋ねたが 「さぁね」 そう言ってはぐらかされる。 業を煮やしたトヨが後をつけよう。そう決意したのも無理のない話である。 星の出ている夜であった。月の明るい夜であった。 時折吹く風が葉っぱを揺らしざわざわと音を立てる。鳴く虫の声に混じり、時折遠くでごうと野犬の声がする。そんな林道をヨネは軽快な足取りで歩いていく。 -これだけ明るければ見失う事は無かけど。 ヨネの片手が時折光を跳ね返すのはにそこに握られた鎌が月明かりを跳ね返すからだ。 -やはり戦場の方か。 この雑木林を抜ければいよいよあの場所だ。ゴクリと唾を飲み込む音が思ったよりも響いた気がしてトヨは思わず身を縮める。 -なんだって場所に こんな所になんの用があるというのか。用があるにしてもせめて昼に来れば良い。 -それなのに何故? 何故、何故と答えの出ない問を繰り返しながら目の前の背中を追いかける。 知りたくない。だが知らなければならない。 一歩、足を進めた瞬間、何かを踏んづけた感触と共にパキと足元から乾いた音がする。 恐る恐る足を上げると、砕けた骨の欠片が一つ。 ついに戦場の跡に着いてしまったのだ。 物陰に隠れ息を殺す。 月光を雲が隠し、ヨネの姿はよく見えない。だがよく目を凝らせば何かを拾い集めているのは分かる。 -何をしているんだ そう問いただそうとした瞬間、月を隠していた雲が晴れ、その手に持つ物に思わず「ひっ」と短く悲鳴が漏れる。 その声を聞いたであろうヨネがゆっくり身体をこちらに向け、それと同時に胸に抱えられていたしゃれこうべがトヨの目に飛び込んでくる。 「おっかぁ、何で此処に?」 心底驚いたような声。そのあまりの呑気さについ怒りが漏れ出てしまう。 「そりゃあこっちの台詞だ。あんた一体何をしとるんだね!」 さっき落としたばかりのしゃれこうべを指差す。 「なしてそんなん集めよるんか!」 ばれちゃった。そう言わんばかりの笑みを浮かべヨネがぽつりと呟く。 「あん人ば探しよると」 その戦場の中央は小高い丘になっている。「こっちじゃ」とトヨを案内する。 その頂上に置かれていたのは頭部が無い組み上げられた骸骨。 その周りの草は抜かれ、花が添えられ、ある種の祭壇のようだ。 「夢を見るんよ。あん人が語りかけてくる夢」 ぽつり、とヨネが語り始める。 「うちの名前を呼んで、俺を探してくれって頼むんよ。うちに会いたいって言ってくれるんよ」 ヨネの言葉は止まらない。 「それだけじゃなか。自分の骨が今、何処にあるか夢の中で教えてくれるんよ。だからここまで見つけられたんよ!」 「そんな馬鹿な話が」 「馬鹿な話なんかじゃなか!ほらこれ見てみんしゃい、右手の骨折の後、あん人と同じじゃろう?」 確かに源三郎は昔右の骨を折っていた。だからといって 「そんなん偶然じゃ!」 「じゃあ何で親指の骨がぴったし合うん?」 見ろとばかりに人骨の右手を指差す。そこには先日旅の僧がヨネに渡した親指の骨。それがぴたりとそこに収まっている。 「もう少しなんよ。後は頭だけなんよ!」 「馬鹿な事しとらんで、はよ帰るよ!」 ヨネの母がヨネの手を掴む。 「邪魔すんな!」 掴まれた手をヨネは力ずくで振り解く 「うちはあの人を探さないけん!」 「いい加減にせぇ!あんたの旦那は死んだんじゃ!」 「嘘じゃ!あん人はまだ此処におる!あん坊さんだってそう言っとったじゃなかか!」 ヨネは傍らに転がっていた鎌を手に取ると、ぐっと片手で振り上げる。 「これ以上邪魔すんならおっかあでも許さねぇ!帰れ!うちはあの人を探すんじゃ!」 「そげん骨が、あんたの旦那なわけ無かろうが!ええから帰るんじゃ!」 「うるさい!黙れ!黙れ!」 そうして振り上げた鎌を力いっぱいに振り下ろした。 村で騒ぎになり始めたのは翌々日の夜であった。 ヨネもその母親も留守にしたまま帰ってくる気配が無い。 どこに行ったんだ?口々に村人が話し合う中、誰かがきっとあの戦場だとぽつりと呟く。 そうだ。そうだ。と幾人かの村人たちがそれに同調し、行ってみよう。そう話が決まった。 分厚い雲が月も星も覆い尽くす真っ暗な夜である。 誰かが飲み込んだ唾の音すら辺りに響き渡りそうな静かな夜である。 そんな中を村人達は提灯を片手に進んで行く。 「ほんとにここにおるんやろか?」 不安げな声に応える者は居ない。 雑木林を抜け、いよいよ戦場にたどり着く。 「おぅい、おるかー?」 と声をかけるが返事は無い。 行くぞ、行くぞと恐る恐る村人達は歩を進めていく。しばらく歩いたあたりで 「おい、あっば見ろ!」 一人の男が大声で叫んだ。 松明の明かりに照らされた先、そこにまだ肉のある身体が、息絶えたトヨが仰向けで倒れている。 首につけられた傷が致命傷だったのだろう。赤黒とした傷口は流れた血の量を物語っている。 「ヨネは無事じゃろうか?」 死体を見下ろしながら誰かが呟くすると 「おい、これ」 と一人の村人が地面を指差した。そこにあったのはポツポツと続く血の跡 「あっちか」 そんな呟く声を合図にして、村人達は血の跡を、丘の上に続くそれを追いかけ始めていた。 村人達が丘の上にたどり着いた時、ヨネはぼうっと地面に座っていた。着物や顔は血や土で汚れ、だがその横に置いてある全身が揃った骸骨の、そのしゃれこうべの表面を愛おしそうに撫でている。 「無事じゃったか!」 そう言って駆け寄る村人に笑みを浮かべ 「どしたん?皆揃って」ととぼけた声を出す。 「どうしたもこうしたも、お前ん母親がそこで死んどるんぞ!」 焦る村人の声に対し「ああ、そう」と心底どうでもいいといった返事。 その声に呆気にとられながらも 「とにかく無事で良かった。ほら村さ帰るぞ」 そう優しく声をかける。 だがヨネはゆっくりと首をふり「嫌じゃ」と小さく答える 「嫌じゃ、うちはここから離れん。やっとあん人ば見つけたんじゃ」 しゃれこうべの眼窩を撫でるヨネの指 「あん人って源三郎んこつか?」 恐る恐る尋ねる村人にヨネは微笑を浮かべ軽く頷く。 「やっと、やーっと見つけたんよ。これであん人は何時でも帰ってこれると」 誰かがゴクリと喉を鳴らす 「そげん誰のかも分からん骨があいつじゃって本気で思っとるんか!」 「そうじゃ、うちには分かるとよ。これはあん人たい」 「馬鹿な事言っとらんと早よ戻るぞ!お前のおっかあを殺した奴がまだおるかもしれんのじゃ!」 村人の手がヨネの肩に触れた瞬間 「離せ!」 響き渡るヨネの声 「お前等もおっかあと同じか!うちをあん人から引き離すつもりか!」 傍らに落ちていた鎌を振りかぶりながらそう叫ぶ。その刃についた血糊は硬く乾いている 「お前その血はなんじゃ!」 ざわざわと広がる村人の声 「お前がトヨをやったんか!お前のおっかあやぞ!」 「うるさい!邪魔するほうが悪いんじゃ!うちはあん人にもう一度会うんじゃ!」 「取り押さえろ!」 一人の村人がヨネを背後から押さえ付け、もう一人の村人がヨネの手から鎌を取り上げる 「離せ!離せ!離せ!」 あっと言う間に取り押さえられたヨネが放つ金切り声を合図とするように、ごうと風が吹き村人達の手にあった提灯の火が一斉に吹き消えた。 辺りが闇に包まれた。しんと静まり返った中で 「ヨ、ネ」 低く響く掠れた声が響く。その主は辺りを取り囲む村人達ではない。 「ヨォネ」 声とともに聞こえるずるずると何かが這いずるような音 ひぃと悲鳴を漏らし、その場にへたり込む村人達。 「誰か早う火ば起こせ!」 ようやく灯った火が照らしたのは地面の上を這いずる骸骨の姿。だがその骨はあたりの土を引き寄せながら肉を、人の形を作り始めていく 「ヨ、ネ」 「あんた!」 その骨に駆け寄ろうとするヨネを村人が必死に押さえつける。 土が僅かに見えていた骨を全て覆い尽くした頃にそれはよろよろと立ち上がり、ヨネに向かって手を伸ばす 「あんた!」 ヨネの伸ばした手と、骸骨の伸ばした手が触れ合おうとした瞬間、ざくりと音がして、村人の一人がヨネから取り上げていた鎌をその骨の頭に突き刺した。 「ああああああ!」 ヨネの悲鳴と共にその場に崩れ落ちる骸骨。鎌が刺さったしゃれこうべは砕け、まとわりついた土も落ち、物言わぬ塊に戻っている 「お前等、あん人を殺したな!またあん人を殺したな!」 ヨネがああと悲鳴を上げながら村人の手を振りほどき、骸骨に縋りつく。 割れたしゃれこうべに口付けを交わし、ヨネはふらりと立ち上がる。村人達は動くことも言葉を発することも出来ない。 ヒヒ、ヒヒヒヒ 笑い声と共にヨネが立ち上がる。その手にはしゃれこうべに突き立てられた鎌の姿。ヒヒ、ヒヒヒヒと笑い声を上げながらヨネは周りを取り囲む村人の姿を見回して 「お前等許さん」 鎌を大きく振り上げ、そしてそれを自らの喉を突き刺した。 それから暫くの時がたち、旅の僧、禅円はそこに居た。事の顛末は村人達から聞いている。 「申し訳ない事をした」 経を唱えながら、土を掘る。 トヨの亡骸は村の墓に葬られたらしい。だがヨネの身体とヨネの側に縋り付くように置かれたその骨はこの丘の上に未だに放置されている。 「この二人、もう極楽には行けぬであろう」 村人達から頼まれたのだ。ヨネとその骨を供養して欲しいと。 掘った穴に二つの亡骸を丁寧におさめ、上から土をかける 「すまないことをした」 ヨネに骨を私たお前にも責任はある。そう責められれば禅円は断る事が出来ない。 土をかけ終わった禅円がどかりと座り、また始めから経を読み始める。きっとこれが私の勤めなのだ。 禅円の眼には怒りに震えながら血の涙を流すヨネの姿と、すまない、すまないと謝り続ける源三郎の姿が見える。 私の命がある間にこの二人を慰められるだろうか そんな不安を飲み込みながらただひたすらに経を読み続けている。
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