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彼が私の花火に火を点けて、花火大会がスタートした。打ち上げる方じゃなくて、手持ちの方。大して大きくもないから、花火観賞会の方が似つかわしいだろうか。
普段はデートの誘いなんて乗ってこないから、今回も無碍にされるかと思っていた。ちょっと強引な手段だったけれど、彼を誘い出せたなら結果オーライでしょ。
線香花火はぱちぱちと弾けている。オレンジ色の火玉をぶら下げて、その周りを細く短い光の筋が素速く走っていく。一瞬の光を何度も放って、瞬く間に消えていく。
思わず火花に見とれてしまうけれど、花火にばかり気を取られていてはいけない。私には、けじめをつけなければいけない感情がある。このまま放っておいては大学受験に差し支える。夏休みはとうに明けた9月の土曜夜。彼もそれを解った上で来てくれたのだろう。
「「線香花火」の「線香」をさあ、閃く光の「閃光花火」にした曲とかあるよねえ」
「あるねえ」
「あれさあ」
「うん」
「「閃光花火」にする意味ってあるのかなあ。花火って普通に光るものだし」
「そうだねえ」
……会話が終わった。
ねえ、もっと話拡げたらどうなの!? 変な話題振っちゃったけど、もうちょっとこう、なんかあるでしょ?
彼も自分の花火に火を点けた。同じ線香花火だ。二輪の線香花火が、共鳴するように小さく爆ぜている。
「眩しいのって、花火だけなのかな」
「え?」
「花火に重なる思い出とか、花火越しに見る相手の笑顔とか、閃光の様に眩しいものは、花火だけじゃないのかもね」
「ああ……」
思ったよりもちゃんとした答えが返ってきた。なんだ、やっぱ無碍にはしないじゃん。
手元で煌めく二つの線香花火を見て、私はあることを思いついた。
「花火って、繊細で巧みな、繊巧な日本の文化だよねえ」
「繊巧?」
「誰が見ても美しい。鮮やかで好ましくて、鮮好だよね」
「鮮好……」
彼は私の発言の意味深さに気づいたみたい。
「センコウ攻め?」
「8月の模試でさあ、現代文の同音異義語の四択ミスっちゃって。それさえ合ってれば満点だったのめっちゃ悔しくてさぁ。だから、センコウって言葉調べまくった」
彼は「ふぅん」と気のない返事をしてみせる。満点じゃないから褒めてくれとも言いづらい。
「ねえ、ゲームしようよ」
「ゲーム?」
線香花火を見つめる彼の視線は、私に移ることはなかった。
「センコウの同音異義語、多く言えた方が勝ちってやつ」
もしここで今日の本題に入ってしまったら、話を終えた時点で彼は帰ってしまう。彼を少しでも長く、私の元に引き留めておきたい。
「もし私が勝ったら、私と付き合ってよ」
「賭けるのかよ」
「そしたらさあ、こんな風にコソコソしなくてもいいじゃん?」
わたしの手持ちセンコウカードは充分にある。きっと勝てる。
「泓杜、国語得意だから行けるでしょ?」
「得意ってか……。まあ、いいけど」
弾ける線香花火の音に紛れそうなくらい、彼はぼそりと笑って口にした。
「じゃあ、俺が勝ったらあ……」
やはりそう来るよね。さて、彼は一体なにを引き合いに出してくるだろう。
「二度とお前を相手にしない」
「ええー……」
「対等な賭けだろ?」
「ちょっとひどくない……?」
「あと、名前で呼ぶのも禁止な。お前だけだぞ、俺を名前で呼んでんの」
「あ、ズルい! じゃあ、私勝ったら、私を真汪って呼ぶの追加で」
「いいだろう」
よし。ここで彼を正式に彼氏にするんだ!
「じゃ、お前がセンコウってことで。はい、次お前」
「ねえ、ズルいって!」
「ズルいのはどっちだよ。先に4つもセンコウ言ってた癖に」
「んじゃあ、既に出た5つは無しで、今からスタートね。独断センコウで悪うございました。はい」
「気が急いてセンコウされては困るね。はい」
「なにがなんでも勝ちたいんだもん。ここで立派なセンコウを収めたいから。はい」
「お前が戦うべき相手はセンコウ科目だろ? 俺の事は忘れて勉強に集中しろ。はい」
「それはちゃんとセンコウしてるよ。国語はよく満点取ってるんだから。はい」
「点数良いのは国語に限った話だろ。他は壊滅的だろうが。高3でそれじゃあどこにも進学できない。茨の道をセンコウすることになるからな」
こいつ、なかなかやりよる……。会話の脈絡すら崩さない見事な返し。ヤバい。これは油断できない。
「せせせ、せ……線香花火ってさあ、どうしてオレンジだけなんだろうね。センコウになったらキレイなのに」
「花火師がそういうセンコウをしないということは、綺麗に見せられない不都合があるんだろうな。線香花火は他の花火と比べて火薬の量がかなり少ない。酸化剤、燃料、可燃性バインダー、そこに炎色反応を伴う金属を自由に調整できる余地が無いんじゃねえかな」
凄い、化学も行けるのか。言ってること全然分からなかった。
「……お前、説明理解できてないだろ」
「……センコウしてます」
「炎色反応くらいは分かるよなあ? 赤く光って燃えるのは?」
「ええっとー……水素?」
「炎色反応っつってんだろ」
「あ、金属か」
「ここで水、電気分解して酸素と水素の混合気体に着火してやろうか。センコウな血が舞うぞ」
「泓杜と一緒なら悪くないかも」
「……ついに狂ったか」
「だ、誰のせいよ!」
「お前が勝手に暴走してるだけだろ。俺への迷惑も考えろ」
「ねえ、ほんとはおいしいと思ってるんじゃないの? 現役JKとのセンコウだよ?」
「俺は天皇かよ。俺はいつまでもお前の相手なんかしてらんない。そもそもこれを逢瀬か何かと勘違いしてるようなら、俺は罰を食らってセンコウになる」
「遷幸……ってなんのセンコウ?」
「幸を遷すと書いて遷幸だよ」
「天皇じゃんwww」
「お前が言い出したんだろうが。左遷という名の罰が下るんだよ。酷けりゃ減給か、果てはクビだ」
「罰って、なにも悪いことしてないのに」
「本当にそう思ってるなら、もっと社会を勉強しろ。俺はこれ以上、お前と付き合ってらんないから」
彼はいつもそうだ。どんなに声をかけても一向に靡いてくれない。私のことが嫌いなのかもしれない。でも、私を無碍にしない。まあ、その理由も分かってるんだけどね。
二人の線香花火は、依然としてストロボのようなパチパチとした光を放っている。まだ、まだまだ消えないでいてほしい。
「俺とお前じゃ認めらんねえ、釣り合わねえ。それはお前も理解してんだろ。さっさと諦めろよ」
彼の態度は変わらない。私も一途にアタックし続けてきたけど、もう現実を見た方がいいのだろうか。
センコウ勝負の手番は私に回ってきてる。もう手持ちのカードは残り少ない。万が一勝てたとして、彼は素直に私の要求を吞んでくれるとは思えない。
無理なのは分かっている。でも、最後まで足掻きたい。
「諦めようとはしたよ? 他の男子にしようかなって。でもさあ、恋愛のこと考える度に泓杜のことが頭に浮かんでくるの。考えないようにしようとすればするほどそれが抑えられなくて、ダメもとでも泓杜に好きって言わないと気が済まない。告白する度に泓杜に振られて心にセンコウが生じても、泓杜は変わらず私に優しくしてくれる。だから、希望が捨てきれないんだよ」
彼のせいだ。振ったくせに優しくする彼のせいだ。
「お前だけに優しくしてるわけじゃねえのは知ってるだろ」
「分かってるけど……」
「お前と俺はキラル化合物でもなければラセミ体でもねえ。センコウが生じる関係なんだよ」
「キラ……旋光?」
「胸像体の物質量が異なることによって生じる光の複屈折だよ」
「……」
「俺等二人の関係は、社会的には屈折して歪んで見えるってことだ」
ダメだ。光が屈折してるってことしか分からなかった。
「理系の癖に、んなことも分かんねえのか」
「な、なんで文系のセンコウがそんなに理科目詳しいんだよ!」
「ちゃんと勉強したからに決まってんだろ。教職取るのに専門科目だけできりゃあいいわけじゃねえ。大学入るのに全教科を一生懸命勉強した。ただそれだけのことだろうが」
呆れられた。国語しかできないのは認めるけど、分かってほしかったの。私はただ、振り向いてほしかっただけ。
「だからさあ、俺の科目ばかり満点取るんじゃなくて、他の科目もちゃんとやれ。お前がやればできるのは、俺はよく知ってっから。俺の気を引きたきゃな」
けど、そうやって私を見捨てないんだ。
「嘘でもいいからさあ、私のこと好きだって言ってよ。勘違いでもいいから、泓杜に好かれてるって思い込んでたい」
そう言った途端、視界の下の方で、明るいなにかが動いた。線香花火の火玉が落ちたんだ。私のじゃない。彼の。
彼は立ち上がった。二本目を手にする気配はない。もう帰る気なんだ……。
「その方が楽だからさあ。ねえ、それなら頑張れるかもだから」
私は右手にまだ灯っている線香花火を持ったまま、左手で彼の袖を摑んでいた。
まだワンチャンある。そう信じた。まだ帰らせるわけには行かないし。
彼は溜息をついて。私の方に向き直った。
「言わせてもらうけどさあ」
袖の手は振り払われた。
「教師が忙しいのをお前は知らないわけじゃないだろ? それを下らないお喋りに付き合わされて時間は奪われるし、作業妨害で仕事が進まない。今回もそうだ。お前が変な理由で進路面談に出席しないから、俺が直々に家庭訪問しなきゃならなくなったんだろうが。手間掛けさせやがって。自分の主張ばかりしてないで少しはこっちの身にもなれ。そんなんで誰が好意なんか持つかってんだ。教師と担任の生徒だぞ? 身の程を弁えろ。俺を犯罪者にでもするつもりなのか? お前の迷惑にはうんざりなんだよ。このままお前が進路希望出さずに路頭に迷っても俺は責任取らないからな? お前の面倒なんかこれ以上見てらんねえから」
一気にまくしたてられた。こんなに言われると思ってなかった。
立てない。もう、後半聞きたくなかったし。
恐怖とか後悔とか一気に来て、涙が溢れて止まらなかった。
車のキーが鳴る音が聞こえた。泣いてる生徒を置いて帰るんだ。
私は、本当に嫌われてたんだ……。
ドアが閉まる音。
もう、学校にも行きたくない。
「センコウの涙」
しゃがみこむ私と同じ高さから聞こえたのは、さっきまでの彼の声。
「みたいな答えが返ってきたらどうすんだよ。教師なんて体面取り繕って真摯に生徒に向き合ってんだから、本音なんて言わねえよ」
「……どっちなんだよ」
「お前、今の感情で勉強に集中できると思うか?」
「できるわけないじゃん」
「だろ? 仮に俺がお前に好意があると言った場合、きっとお前は今と真逆の反応で勉強が疎かになるだろうな」
「でも、さっきの本音入ってるでしょ?」
「そういうわけだから、俺の本音は意地でも言わねえ」
私の言葉を遮るように、彼はきっぱりと言った。
充血した私の目の先に、彼の姿が歪んで見えた。彼もしゃがんで、私の顔を覗き込んでくれている。
「ま、進路指導に手間取ってんのは確かだな」
「すみません」
「来週末にまた模試があるだろ。そこでの自己採点で改めてお前の進路を確認する。俺の気を引きたきゃあ、せいぜいいい点取るんだな」
「もしいい点取れたら、私を彼女としてセンコウしてくれますか?」
「お前もしぶとい奴だなあ……」
彼は立ち上がって頭を搔いた。
「それで卒業して、立派に進学したらセンコウしてやるよ」
「どのセンコウ?」
「選り好みと書いて選好だ」
まだ出てない、私が一番欲しかったセンコウだった。
「はい。お前の番」
え、待って。もう無いって……。
「……ギブ」
「ふっ(笑) 先生舐めんなよ?」
超~悔しい! 絶対勝てると思ったのに。
賭けのこと忘れてないだろうなあ……。えっと、先生の出した条件ってなんだっけ。
「じゃ、約束通り、今から俺のことは足田先生って苗字で呼ぶこと。もう泓杜なんて呼ぶなよ」
「あれ? もっとなんかなかったっけ? 俺に関わるな的な……」
「それも有効にしていいのか?」
「やだ……」
「んじゃあいいよ。それだけで」
彼は少しぶっきらぼうに答えた。
漸く体の震えが収まってきた。涙も洟も止まった。けど、ドキドキはまだ冷めやらない。
「ありがと」
彼は笑ってた。初めて見るくらいに笑ってた。
「そんなに可笑しい?」
「いやだって、後攻の俺で終わってんだよ? これ引き分けでしょ!ってゴネるかと思ったら気付いてないでやんの(笑)」
「あ、そうか」
「とはいえ、先生を名前で呼ぶのはよしてくれ。彼女面されてるようでやだからな」
「分かったよ」
先生にこれ以上迷惑はかけちゃいけない。嫌われないためにも、ここは素直になっておこうと思った。
「んじゃ、勉強頑張れよ、草本」
「そ、そこは名前呼びしてよ! 引き分けなんだから!」
「やっぱゴネるじゃねえか。呼んでほしかったらいい点取ってみろ~」
「んもう! 全教科満点取ってプロポーズしてやるからな! 覚えとけよ!」
彼は笑いながら車に乗っていく。悔しいからこの煽りを真に受けて、ちゃんと勉強してやろうと決めた。
エンジン音がして、我が家の庭に停めてあった先生の車が発信する。出ていく途中、先生は車の窓を開けて、私の手元を見ながら言った。
「それ、長くねえか?」
私も自分の手元を見る。
「長いよ? そう簡単に消えはしないんだから」
先生は鼻で笑って、車の窓を閉めた。
走り去っていく車を見送る私の右手には、強く抓んで萎れた線香花火が、いまだにオレンジ色の火玉を灯し、火花を散らしていた。
先生が私に点けた火は、そう簡単に消えはしないんだからね。
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