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月は人類が宇宙を目指す上での、いわば『出島』だ。弱い重力を最大限活用して、火星への往復を容易にしている。
《臨時便、S02号。リフトオフです》
火星の通信トラブルを解決すべく、救難艇と呼ばれる宇宙船を打ち上げる。
中身は修理に想定される修理機材、そして2体のリモーター……のはずだった。
発射して、僅か2分後。管制室にアラートが鳴り響く。
《S02号、航跡消失です》
突如、信号が途絶えたのだ。
「どうした、事故か?!」
予想外の事態に管制室が騒然となる。
「量子同期通信、全ロスト! 遠隔操船不能です」
居合わせたルースターが波を打たないモニターに声を上づらせる。
「電波通信、同じくロスト!」
同僚の電波担当も悲壮な声で叫んでいた。
「事故か?! 救難艇は無事なのか?」
司令官の問いかけに、光学観測班が「機体を確認しました!」と手を上げた。
「光学望遠鏡で目視する限り、機体に損傷など異常はありません。対消滅エンジンの噴射ノズルに燃焼炎を確認。また、航行ルートも計画通りです」
「どういうことだ……?」
突然の事態に管制室がざわめきと混乱に陥る。
「まさか……」
ルースターの胸に、一抹の不安が走る。
「オーストリッチは? オーストリッチは何処にいる?!」
慌てて周りを見渡すも、その姿はない。そこへ。
《こちらドック! どうなっているんだ?! 救難艇へ確かに搭載したはずのリモーター1台が、ここに袋に覆われて隠れてやがった!》
救難艇の発着を担うドッグからの異常報告。そして、いるはずのオーストリッチがいない。この2つの事実が示すことは。
「まさか! リモーターの代わりに自分で火星に向かったのか、オーストリッチ!」
「探せ! オーストリッチを探すんだ! もしも『基地にいない』となれば、本当に救難艇をジャックして火星に向かった可能性がある! だとすれば、量子同期通信の途絶も彼の仕業ということも!」
司令官の指示に、担当管がメンバーの端末から位置情報を検索していく。
「……オーストリッチ2等技官、位置情報ロストです。とりあえず、この月支援基地にはいません」
管制室が静まり返る。
「か、火星まで70日だぞ? 救難艇には最低限の生命維持装置しかないんだ。そんなことをしたら死ぬぞ!」
疑問と悲壮の声に医務担当管が「もしかしたら」と腕組みをする。
「救難艇には緊急用の仮死キットが搭載してあったはず」
宇宙で血管破裂など分単位を争う事故に救急医療を施すことは難しい。そうした場合に使うのが『人工仮死キット』である。基礎代謝と体温を極限まで落とし、延命を図るものだ。
後遺症のリスクが高いから緊急用だし、それでも70日を耐えるのは無謀と言える。
更に月に生還する方法なぞない、絶望の片道切符。
「何てことだ」
司令官が、モニター上で徐々に小さくなっていく救難艇の後ろ姿を見つめる。
「いったい何が、彼をそうまでして火星に向かわせようとしているのだ」
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