首吊りトイレ

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 トイレの外に出た。  廊下にならぶ窓の外は明るかった。夕焼けはまだ遠く、青空に昼の月が浮かんでいた。  複数の足音が聞こえてきた。世莉たちとさっきの男性教師が走ってきた。 「今の音は何だ! 何があった!」  開口一番、教師は生徒の身を案じることなく詰問した。 「誰だ、ドアを壊したのは!」 「この子たちです!」  これ見よがしに涙を浮かべた――本当に泣いたのかもしれないが――世莉たちが口をそろえる。円香は呆れた。 「この子おかしいんです! 幽霊に、ううん、首吊り死体に触ったんです!」 「首吊り死体!? そんなものどこにあるんだ!」 「さっきまでトイレにあったんです! 幽霊だから消えたの! 五年前に自殺した女子生徒の幽霊がいたんだから!」 「幽霊なんているはずないだろ! それにその話を無闇にするなと禁じただろうが!」 「本当です! た、たぶん柚月がいるから祟られたんだ。全部コイツのせいで――」  パァン!  廊下に小気味よい音が響き渡った。今度は柚月が世莉をビンタしたのだ。 「おかしいのはあなたたちの方よ」  怒りを込めた声音で、柚月は言い放つ。 「集団で一人をいたぶって喜ぶ。亡くなった人をオモチャにして楽しむ。そっちの方がずっと異常なのよ!」  これまでずっと耐え忍んでいた柚月の反撃に、世莉たちは黙った。 「二度と私の家族で遊ぶな!!」  柚月が世莉を突き飛ばす。教師が「おい、暴力は……」と止めるが、柚月ににらまれて口をつぐんだ。  柚月が立ち去ると、世莉はくしゃくしゃの顔で泣き出した。 「パパとママに言いつけてやる!」――などとわめくが、柚月どころか円香にすら効果がなかった。  円香は、自然と柚月を追った。  北校舎を出る。校庭から部活中の掛け声が、遠音として聞こえてきた。  柚月の背中に問いかける。 「違ってたらごめんなさい。……あの幽霊の女の子って」  柚月が足を止める。背を向けたままうなずいた。 「うん、そう。私のお姉ちゃん」  五年前。  この中学校に通っていた柚月の姉こそが、あのトイレで首を吊った女子生徒だった。 「間違いなく深月(みづき)お姉ちゃんだった。怪談の話を聞いて、もしかしたら会えるのかもって思っていたんだけど」  だからおとなしく世莉たちについてきたのか。北校舎には、二人以上ではないと入れないから。  柚月の肩が震える。 「お姉ちゃんはね、いじめのこと、誰にも……お父さんにもお母さんにも、私にも言わなかった。ひとりぼっちで抱え込んで、死ぬことを選んでしまった」  柚月が空を仰ぐ。その瞬間、彼女の目元から水滴が落ちた。 「助けたかった……」  息を吐き出すように、柚月が言った。  その後ろ姿に、病院で目覚めた時の両親の姿が重なる。 「うん……」  ロープの痕が残る自分の首を撫で、円香はそう返すことしかできなかった。
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