首吊りトイレ

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 中一の夏休み明け、円香は同じクラスの女子たちからいじめを受けた。  友達だと信じていた子たちから、無視をされグループトークで陰口をたたかれ、教科書を隠された。  きっかけは何だっただろう。みんなが憧れるイケメンの先輩と委員会の用事で話をしたからだろうか。それともソシャゲで円香だけレアキャラを引いたから? とにかく死ぬほどくだらない理由で、円香は死ぬほどの目に遭った。 「目ざわりだから死んで」「十円やるから自殺しろ」……そう言われ続けて、円香は発作的に教室で首を吊った。秋の色なき風が吹きすさぶ、肌寒い夕方のことだった。  幸いなことに、否、不運なことに見回りの先生に発見されて命は助かった。  結果的にいじめは発覚したが、学校側の対応は入院中の円香に転校をすすめるだけだった。校長や担任教師は「逃げていいんだよ」と味方ヅラでのたまった。  どうして被害者のわたしの方が逃げなきゃならないの。  おかしいのはあいつらなのに。  そう反抗できればよかった。けれど円香にその気力はなかった。  彼らに従い、転校を決めた。半年間のカウンセリングを経て、四月半ばの今日やっと登校できた。  すでにできあがったクラスに中途参加するのは気が引けたが、それでも期待していた。  新しい学校では前のような、よどんだ空気とは無縁になると。『普通』の学校生活が送れるのだと―― 「柚月(ゆづき)。あんた、さっきあたしの命令シカトしたでしょ」  一時間目の数学が終わった途端、ポニーテールの女子、世莉(せり)が、あの『隔離』された子の机を叩いた。名前は柚月というらしい。  教師がそそくさと出ていく。世莉の言動をとがめることも明らかにおかしい机の配置を指摘することもなかった。 「先生に当てられたらわざと間違えろって言ったのに」 「世莉の言葉を無視するとかありえんしー」 「チョーシこきすぎじゃん?」  世莉の取り巻きらしい女子三人組が加勢する。  ――やめて。  円香は身をちぢめた。自分に言われているわけじゃない。けれどこの悪意は、どこまでも理不尽な物言いは、円香の心のかさぶたを容赦なく剥がす。 「なんで言うことを聞かなきゃならないの」  しかし当の柚月は、静かに冷徹に、世莉たちと対峙した。  中学二年とは思えない落ち着いた雰囲気。先ほどの授業の様子からすると、成績も優秀なのだろう。  きっとそんなところが世莉たちの反感を買うのだろうと円香は推察した。どこも一緒だからだ。吐き気がするほど一緒だからだ。 「あー柚月に無視されて超キズついたぁ。罰として放課後、また〈首吊りトイレ〉できもだめしな」  柚月のポーカーフェイスがかすかに揺らいだ。 〈首吊りトイレ〉?  唐突に出てきた場違いで不吉な一語。無意識に自身の首――ロープの痕がくっきり残る首に触れかけた。  近くにいる子たちがこっそり説明した。 「北校舎にまつわる怪談なの」 「怪……談? 北校舎って、立入禁止の?」  今いる校舎の向かいにある北校舎には過去に『事件』が起こり、生徒は単独で立ち入ってはいけない。と、転校前の面談で説明された。 「うん、そう。用事があって二人以上だったら入ってもいいんだけどね」 「そこの四階の女子トイレに夕方四時に行くと、……五年前にいじめを苦にして首吊り自殺した女の子の霊が……出るらしいよ」  くびつりじさつ  その七文字を胸の中で何度も反すうする。 「あんたには最適の罰だろ? 逃げたらコロスから」  世莉が蛍光ペンの先端を柚月の首元に突きつけた。  無言の柚月に、世莉はフンと鼻を鳴らして円香の方を向いた。 「ねぇ円香ちゃん。あんたも来なよ」 「えっ?」 「このクラスのルール、教えてあげるからさ」  世莉の意図を理解して、円香は後ずさった。が、背後にいた取り巻きに肩に手を回された。 「楽しみだねー円香ちゃん!」  世莉たちの顔がぐにゃりと歪む。笑っているのだ。  クラス内に、「あーあ」と言わんばかりのよどんだ空気が広がった。 「転校早々巻き込まれてカワイソー」 「しかたないよ。このクラスにいるからには世莉に従わなきゃ」 「世莉の親、ガチでやばいもん。地域の権力者で先生たちも逆らえないし」 「女ってマジ陰湿だよなぁ」 「オレ男でよかったわ」  クラスの人たちが好き勝手にささやく。円香の方をいっさい見ずに。  ……真っ暗な穴に、足元が吸い込まれるような感覚がした。  新しい学校でも、何も変わらなかった。  どこに行っても、理不尽がつきまとう。  首にロープが巻きつく感覚が、生々しくよみがえる。
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