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イトはまだ新米の管狐だった。
管狐は普段、竹筒の中にいる。雌雄一対の組み合わせで、イトにも、トミという姉のような管狐がいた。そんなトミの制止も聞かず、いつもと違う空気を嗅ぎ取ったイトは、こっそり竹筒から遊びに出たのだ。
そこは、見たことのない場所だった。
黒っぽい地面が広がり、向こうにある大きな道路から車がひっ切りなしに入ったり、また出ていったりする。平屋の建物があって、その周囲にも多くの人たちが行き交っていた。何かを食べたり、写真を撮ったりしていた。
初めての場所に喜び、イトは主人から離れて探検をした。あと少し、もう少しだけ。そう思っている内に、小さな子どもが自分を指さしているのを見つけた。
うっかり姿を現してしまったことに気が付き、天地がひっくり返るほどに慌てて、そばにあった筒に飛び込んだ。ほっと一息ついたのもつかの間、それがトミのいない間違った筒であることに気付いた時には、蓋はしっかり閉められてしまった。
「それで、この村にまで運ばれちゃったんです」
しょんぼりと肩を落とし、思い出し泣きをしながらイトは言った。話を聞くシイの傍らでは、何故かマルがもらい泣きをしていた。
「おいらが入ったあの筒は、なんだったんでしょう」
水筒じゃないかと誰かが言った。
「水が入ってなかったか」
シイが尋ねると、イトは水が入っていたと言った。子どもの話し声が近かったとも言った。どうやら、村の子どもが持っていた水筒に入り込み、そのまま運ばれたらしい。
「帰りたいよう」
イトはその場に座り込み、わんわんと泣き出した。つられてマルもわんわんと声をあげて泣く。モクリコクリたちは耳に指を突っ込み、シイも同じポーズをとった。だが二匹とも泣き止む気配がないので、イトに近づいた。
「なあ、イトはどこに住んでたんだ」
「それが、わからないのです」ぐしぐしと涙を拭きながら、弱った声を出す。「おいら、生まれたての式神で、なんにもわかんないんです」
だから全てのものが珍しく見えるのだろう。「陰陽師の名は」と誰かが問いかけた。
「ええっと」イトは小さな頭を抱えて考え、ようやく思い出した。「たちばな様、と誰かが言ってました」
だが、それだけでは到底場所の当てが付けられない。たちばなという陰陽師の居場所。陰陽師に縁のないモクリコクリたちが、知りうるはずもなかった。
「悪いが、それだけじゃ帰れないぜ」
小さな管狐の一匹ぐらい、村で暮らすことはできるだろう。若干だが姿も似ているし、きっと仲間外れにするやつもいない。だが、そんなシイの思惑を知ると、イトの目は再び潤み始めた。
そうは言っても、とモクリコクリたちは顔を見合わせる。その内の一匹の台詞が、シイの耳に届いた。
「長に相談してみないと」
「おい、待て!」
飛び立とうとする仲間をシイは呼び止める。
「どうしたんです、シイ様」
きょとんとする仲間を目に、「オレがなんとかする」とシイは言っていた。皆が目を丸くする。しかし、ここまで来て父親の手を借りることに、シイは抵抗があった。なんてったって、自分はシイ様なのだ。一度関わった問題をそっくり親父に投げるだなんて、みっともない。
「なにか、当てはあるんで?」
「ない。ないが、探す。任せとけ」
どんと小さな手で胸を叩くと、周囲から「おおー」と歓声が上がった。さすがシイ様だ。誰かが言い、「シイさますごい!」とマルが飛びついてきた。
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