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「有休ですか?」  小さなキッチンに立ち、その日の夕飯を作っていた牧瀬臨(まきせりん)が、着替えを済ませてソファに落ち着いた青野佳史(あおのよしふみ)に聞き返した。 「うん。今日、総務から連絡が来て。あまり使わなすぎると監査が入った時に拙いらしくて」 「あ、それ、おれも数日前に言われました。おれ、入社してから一度しか有休使ってないんですよ」  牧瀬はトレイを手にこちらへ向かう。テーブルに並べたのは麻婆豆腐と餃子だ。『今日は帰ったらビールだ』と朝言っていたことを牧瀬が覚えていたのだろう。 「お、完璧ビールのつまみメニューだな」 「時間がなかったので、餃子は冷凍してたものなんですが――で、佳史さん、休み取るんですか?」  いただきます、と既に食事を始めていた佳史の隣に落ち着き牧瀬がこちらを窺う。佳史はビールの缶を傾け、一口飲んでから頷いた。 「まあ、どっかで。といっても長期で空けるわけにはいかないから、三日が限度だな」  ホントは一か月くらい寝てたいけど、と笑うと、牧瀬が、いいですね、と微笑む。 「おれも合わせて休み取れば、ずっと一緒に居れますね」  その笑顔から佳史は視線を外し、ずっとって、と口を開く。 「今も、一緒じゃないか」  語ると長いので割愛するが、今佳史は訳あって牧瀬の家に居候をしている。牧瀬が言うには『同棲』らしいのだが、一緒に暮し始めて一か月経った今でもなんだかむず痒い感じがして、そんなふうに思うことも出来なかった。 「でも、仕事中は別ですし」 「そりゃ当たり前だろ」 「前は一緒でした」  佳史は営業三課の課長、牧瀬は営業一課の社員だ。以前は牧瀬も三課にいたのだが、佳史との不本意な噂が広まることを懸念して一課に異動したのだ。 「でも、あれは正しい選択だったと思う。牧瀬は一課の仕事が合ってる」 「でしょうか? 異動した目的は違ったんですけど、やりがいはありますよ。佳史さんに会う時間は減りましたけど、関係は深くなりましたし」  牧瀬はそっと佳史の左手を取り、薬指に嵌っているリングに触れた。これは一か月前に牧瀬がくれたものだ――プロポーズの言葉と共に。 「まあ……雨降ってって奴だな」 「おれとしては、やっとおれのところに落ち着いてくれたって気分ですけどね。おれが取ったたった一回の有休の理由、知ってますか?」 「さあ……いつ取った?」  不機嫌な牧瀬の顔を見て佳史は首を傾げる。こんなことを言うからには自分絡みなんだとは思うが、思い当たることがない。 「工場研修に佳史さんが同行した時です」 「……ああ、新見くん」 「その名前出さないでください。おれ、あいつのこと許してないんで」  今では同じ課の後輩だろう、彼の名前を告げると牧瀬の表情が更に不機嫌になる。そういえば自分が心配で有休を取って追いかけて来たのだ。そのおかげで酔っぱらった新見に襲われていたところを助けられたのだが、あれから一度も有休を取っていないのなら、総務も声を掛けるだろう。 「彼も反省してるし、あれから何もないだろ。可愛い後輩なんだから許してやれよ」  牧瀬の頭を撫で、宥めるように小さくキスをすると、牧瀬が大きなため息を吐く。 「ですけど……ホント、佳史さんのそういうとこ、大好きで大嫌い」  器がデカすぎるんです、と今度は牧瀬からキスをする。柔らかな唇が佳史の舌先を緩く食み、音を立ててから離れる。 「佳史さんを閉じ込める方法ってないですかね」  真顔になって自身のスマホを手に取る牧瀬に佳史が眉根を寄せる。 「……物騒な事言うなよ」 「いやでも……あ、さっきの有休の話、一緒に取りませんか? それで結婚式、しに行きましょう」 「結婚、式?」  そういえば、前に牧瀬が言っていた気がする。あれから一緒に暮らすことで満足したのだと思っていたが忘れていなかったようだ。 「いや、でも……式って……」 「佳史さん、してくれるって言ってましたよね」  ぐっとこちらに近づく牧瀬から距離を取るようにソファの上を移動する。けれどその分牧瀬が近づく。 「それは……」  確かに式だろうと何だろうとやってやると思っていたし、言った気がする。けれど冷静になるとやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。 「嘘ですか?」  捨てられた子犬のような表情を向ける牧瀬に佳史が眉を下げる。牧瀬はそんな佳史の唇にキスをして、そのままソファに押し倒す。 「う、嘘ではない、が……恥ずかしい、だろ」  牧瀬から視線を外し答えると牧瀬が佳史の首筋にキスをした。着ていたスウェットの裾から手を入れ肌をまさぐられると、佳史がびくりと震える。 「恥ずかしいとか……可愛い」 「かわっ……いくは、ない……」 「可愛いです」  佳史の言葉をすぐに否定して、牧瀬の手はパンツの中も撫でる。既に少し反応してしまっている佳史の中心をゆっくりと撫でられ、佳史は牧瀬を甘く睨んだ。 「その、触り方……」 「そのって、どのですか?」  胸を撫でる手も、つんと尖った乳首ではなく、その周りの柔らかな部分を指先で辿っている。どちらも直接触ってもらえなくてもどかしい。 「だから、それ……」 「言ってくれなきゃ分かりません」  下着の上から佳史の中心をやわやわと揉みながら牧瀬が微笑む。佳史はそんな牧瀬の表情に腹が立って手近にあったクッションを牧瀬に投げつけた。けれど簡単に避けられてしまう。 「言って、佳史さん。どうして欲しい?」  耳元でささやいて、そのまま耳朶を舌で舐める。その低く掠れた声にぞくぞくと肌がわななく。佳史は、ばか、と牧瀬の肩を掴み、こちらに引き寄せた。 「ちゃんと触れ。おれが好きなら、中途半端にするな、ばか」  牧瀬の耳に告げた途端、牧瀬はすぐに佳史の服を全て脱がし中心を扱く。焦れて固くなっていた乳首に牧瀬のねっとりした舌が触れる。痛いくらい強い刺激に佳史が声を漏らした。 「ねえ、佳史さん、今の佳史さんの方が、よっぽど恥ずかしいと思いませんか? おれに触ってってねだって、体全部で気持ちいいって言って……それに比べたら結婚式なんて恥ずかしくないでしょう?」  牧瀬が佳史の胸に強くキスをしてからこちらを見上げる。その獣を思わせるぎらついた目が佳史は好きだった。従順な犬が狼になるような瞬間は、自分が牧瀬の欲望の対象になっているのだと分かって嬉しいのだ。 「こ、れは……牧瀬しか見てない、から……!」  喘ぎの隙間から言葉を返すと、牧瀬が優しい表情になる。短いキスを唇に落としてから、だったら、と佳史の頬を撫でた。 「おれしか見てなければ、式挙げてくれますか?」 「そ、れなら……」  うん、と頷くと、言質取りましたよ、と牧瀬が笑う。 「佳史さんとの結婚式、楽しみです。でも今は、新妻のお願いを叶えなきゃ、ですね」  牧瀬が佳史の頬にキスをする。  新妻とはなんだ、なった覚えなどないぞ――そう言いたかったけれど、言えぬまま、佳史は牧瀬がくれる優しい快楽の波に溺れていった。 ========== サンプルはここまで。 続きは同人誌「幸せなキスをこれからも君と」でお楽しみください。
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