最果ての地

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最果ての地

”病人かい? 村の外れにいるが……” ”諦めた方がいい……もう手遅れだ” ”村一番の医者だって、皆目見当もつかない。ありゃあ呪いだ……”  道中、旅人はふと空の彼方を見つめ、先程のやり取りを心中で反芻した。  海からの風が強く吹き付けている。  外套をはためかせる勢いに、旅人は頭巾をそっと押さえると、目だけ動かして空に視点を合わせる。  太陽はとっくに地平線の向こう側へ没し、空と雲は藍色に染まっている。  雲の流れは速くごうごうと大気が唸りを上げ、草達は風を受けざわめいている。夜は旅人の胸を騒がせるより、むしろ優しく映った。  旅人の向かう先、崖の上に立つ小屋は、さながら闇に溶ける影絵。  三角屋根に、石造りの外観。この世界のどこにでもある建物で、酷く色褪せている。  あと十歩ほどというところで、示し合わせたかのように、小屋の扉が勢いよく開いた。 「都から来た化け物が! 怪我したくなかったら失せな!」  飛び出してきたのは、中肉中背、壮年の女性だ。服装の所々が薄汚れて、表情には不安と怒りがないまぜになっている。その手に携えている筒状の物を目の当たりにし、旅人が息を呑んだ。  ――猟銃。  怒りに呼び寄せられたのか、風が一際強く旅人へ叩きつけられる。外套がはためいて、素顔が露になった。 「アンタ……」  女性の呆然とした呟き。  菫色の瞳、猫めいた顔立ちにあどけなさの残る、少女だ。癖の強い若草色の頭髪は短く切り揃えられて、ともすれば少年のようにも見えるが、右こめかみの辺りから菫の一房が伸び、風に揺れている。  外套の下の服装は、柔らかな色彩と精密な意匠で仕立てられており、膝上丈のスカートと相まって学生のようにも見える。  一瞬だけ見えた、左腕に装着された手甲らしきものは、武器だろうか? 「落ち着いて。私は旅の医師、ミラとお呼びください。ミアズマの被触者はどなたですか?」 「! アンタ、何故それを……」 「下の村でお聞きしました。こちらに隔離しているそうですね……診せていただけますか?」 「……どうせ無駄さ。あの病は村の医者だって匙を投げたんだ。旅の医師なんかに何が出来るってんだい」  女性が睨みつけると、旅人は俯いてしまった。そら見た事か。どんな姿をしてようと、こんなご時世に素性も知れない者など信用できるはずもない。それがこの村の、いや世界のルールであることぐらい彼女は身に沁みていた。 「……ミアズマの印」  少女は顔を上げ、聞き慣れぬ言葉を発した。  ただそれだけで、女性の顔から赤黒い怒りは消え、代わりに蒼白で、水面のように頼りなく揺れる表情で、医師の少女を見つめた。  そして一気にまくしたてる。 「それは……息子は、アンファンは助かるのかい!?」 「まずは診せてください」  少女ははっきりと、戸惑う女性に言い放つ。こういう時、嘘や下手な希望的観測に基づいた言葉はかえって彼女の不安を煽りかねない。  毅然とした態度が効いたのか、女性の揺らぎは薄まったように思えた。  少女は一礼して小屋へと足を踏み入れる。  室内は簡素にまとめられていた。恐らくは食卓と思われる小さな机と椅子が二つ。ベッドの上には子供が横たわっている。それ以外は何もない。ランタンの灯は弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。  見ると、炎と同じぐらい、少年の呼吸は弱々しい。虚ろな表情のまま、視線を宙に彷徨わせている。ミラが間近に迫っても、反応を返さない。 「失礼いたします」  母親が見守る中、ミラの手が粗末な毛布をそっとずらして、少年の身体を露にした。 「……ミアズマ第七深度」  少年の白い肌に、紫色の斑点が浮き出ている。大きいものから小さいものまでまちまちで、上半身だけで大部分が浸食されている。  このままでは全身が食らい尽くされる……医師の呟きはそう、女性――母親に告げていた。
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