最果ての地

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 黒い波の中から背の高い、痩せた男が進み出る。虫食いの衣服に、手には斧を携えている。薄淀んだ目がミラを見下ろす。 「医師様、そこをどいてくれ。一度ミアズマ憑きになった者は呪いを振りまく……焼かなければならないんだ」 「騙されないでください……アンファン君はまだ治りますし、彼からのミアズマ感染はもうありません」 「言いきれるのかよ!」  野太い怒声とともに、大男が痩せ男の横へ並ぶ。鋤を担いで、筋骨隆々の肉体は日頃の労働で鍛えたものか。  大男の登場に、村人たちもざわめき始める。 ”ミアズマ憑きって治るのか?” ”医師様の言っている事は本当なのか?” ”焼く必要あるのか?” ”焼かなかったら私達まで憑かれるの?” ”そしたら私達はどうなるの?” 「旅の医師なんか詐欺師だ! みんな騙されんな! 都だって何もしちゃくれねえ、自分の身は自分で守るんだ!」  繰り返されるがなり声、煽るようなタイミングに、小波はうねり村人たちの目がぎらつき始める。  ざわめきは沈黙へと変わり、一つの意志へと統一された。  木や金属の擦れる音とともに、皆が得物を構え直す。  邪魔者の排除。汚物の浄化。夜色の群衆の中にめいめい明滅する炎が、大きく膨らんだように見えた。 「どけよ小娘。怪我じゃすまなくなるぜ」  男二人がずいっと一歩、ミラへと迫る。  少女は唇をきつく結んだまま、その場を動かない。  大男の顔は眼球と歯を剥き出し、赤黒く染まる。  「……警告はしたからな」 「ま、待て!」  押し殺した声とともに、大男が担いでいた鋤を両手で構えるや、地面を蹴った。その切っ先が向かうのは、一人の少女。痩せ男の制止も遅く、速度の乗った凶刃がミラの胸元へ肉薄する。  少女が動いた。 「!?」  衝撃音が上がり、村人たちが目を見張った。  切先が触れるか触れないかの距離でミラの姿が消えたかと思うか思わないか、認識の刹那に襲撃者の身体が宙へと放り出され、地面に叩きつけられた。回転を加えられた様は、さながら嵐の中の枯れ葉。  奇妙な事だが、ミラの位置は僅かに村人側へと進み、武道と思しき構えで残心している。巨漢はといえば彼女の後ろに倒れ伏している。 「なんだ……何が起きた!?」  痩せ男が叫ぶ。  先程まで場を仕切っていた大男が無様に痙攣している姿を目の当たりにして、包囲の輪が僅かに綻ぶ。 「体内の”流れ”――呼吸と血流を感じ、そして己とせよ。さすれば手にした力を以て、汝の奉仕は万人に施されるであろう」  女性の声が、場に浸透する。  村人たちの視線が女性――ヨランに集中する。アンファンを抱きかかえて、戻ってきたのだ。少年の身体は大切そうに毛布にくるまれて、ヨランの顔には苦渋が滲んでいる。  本来ならば、病人を病床から動かすなどご法度だが、小屋に籠っていては村人たちに何をされるか解ったものではない今、こうせざるを得ない。  ミラは背後のヨランに語り掛ける。 「御存知なんですね……」 「フロー流看護術……。若い頃に命を救われたが、相変わらず魔法にしか見えないよ」
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