最果ての地

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「祈りの時って……」 「子を救わんとするあなたの慈愛は尊きもの。なればこそ肉身と魂、諸共ミアズマの穢れを浄化し、フラメスと一体になるのです。――協力者とともに」  冷厳に佇む少年の声色には一切の揺らぎが存在しない。読み終わった本は散らかさずに書棚に戻すものと同じぐらい当然だという口調に、ヨランは慄き、アンファンを抱く腕に力を込める。  都から来た怪物――字は”浄火騎士”。  相対するミラの背中からは、闘志はおろか、いかなる気配も伺い知れない。 「ミ、ミラ……?」  息子を意識しながらも、ヨランにはミラの身体が震えているように見えた。それはほんの僅かな、目の錯覚に思えるような微細さであったとしても、確かに彼女の眼は少女に起きている現象を捉えていた。  そうとも、都の化物と呼ばれる程の実力者、敵にとっては生ける災厄とも呼べる”浄火騎士”がいるなんて思わなかった……管理官の周到ぶりを呪ってか、ヨランの眉間に皺が寄る。しかし、猟銃を置いてきてしまった事を悔やんでももう遅い。  ミラはといえば、感情の色を全て失ったかのように佇み、その目は少年だけが映っている。――ヨランの懸念通り、その身体は、本人すら自覚しないほど小さく震えていた。  少女の表情も窺い知れぬまま、状況を注視せざるを得ない。  ミラと対峙する少年の手が動いた。懐に入れ、静かに素早く引き抜くと、右手には黒色の節くれ立った器具が握られている。未知の昆虫の死骸にも見えるが、強いて言うならば歪な指揮棒だろうか。  少年が指揮棒を祈る様に掲げ持つと、それが合図なのか、蒼光が立ち上がる。  初めは一条だった光が、分かたれ、鋭角を描いて宙を奔り、爆ぜ、意志を持つかのように収束してゆく。 「あ……あ……!」  草原が、世界が蒼に染まった  指揮棒は柄、刃は稲妻。少年の手に握られているのは一振りの剣。雷光を具現化した刀身は、滑らかな曲線を描いている。  少年の心も、雷光の刃と化したのか。剣を振り下ろした彼の眼差しは今、少女だけを睨み据えている。  ミラは、戦闘態勢の相手に構える素振りすら見せず、棒立ちのままだ。その体は雷光に照らされるだけの、オブジェと化している。  ――雷を纏う少年と対峙した瞬間、ミラ――ミラルヴァ・フローという名の少女の中に、ごくごく小さな”力”が揮発した。  それは原子よりも小さな、ただこの世に生まれて消えていくだけの、取るに足らない”力”だった。  それはしかし、瞬く間に脳から心臓、そして全身へと拡散しミラの全身を駆け巡り、全細胞に火をつけた。  僅か一秒にも満たぬ間の出来事である。  一度点火したなら、細胞の活力を喰らい、やがて炎となるのに時間はかからなかった。  かくして、炎はひとつの言葉となる。 「け、結婚してくださいッ!」  彼女の肉体は生まれて初めて、かつてないほどの熱を帯び、魂は燃えていた。
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