第一章:邪教

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「その、忙しくて全然です。それに、私そんなに絵はうまくないですし」  前者も後者も事実だ。趣味に使える時間はなく、誇れる画力かと問われれば答えはノー。周囲と比較してうまかっただけに過ぎない。SNSを覗けば自分以上なんて星の数いる。所詮(しょせん)井の中の(かわず)だったのだ。 「上手い下手なんて関係ないさ」  だが、司恩は語る。 「見たままの情報が欲しいなら写真で十分だし、正確性を求めるなら最近流行(はや)りのAIに頼めばいい。文明の利器が最適解を弾き出してくれるからね。だというのに、どうして人は筆を走らせるのか。それは、その人が見て聞いて、己の手を通してでしか伝えられない物が、景色が、世界があるからじゃないか? 周りが白い目を向けようと、誰に何と言われようと関係ない。我が道を行き、好きなように表現する。それが絵描きとして生きる醍醐味(だいごみ)なんだよ」 「保育教諭なんですけど」 「それもそうか」  また、かっかと哄笑(こうしょう)する。  芸術家の心得を説いていた気もするが、彼女の言葉は胸に深々と突き刺さった。  周りなんて関係ない。我が道を行く。  今の自分に足りないことだらけだ、と下唇を噛みしめてしまう。 「とにかく、だ。就職一年目で忙しいかもしれないが、美術を愛する心は忘れないでくれよ」  そう言い残すと、司恩は手を振り背を向け去っていく。  恩師に報いたい。しかし、今から自分は、己を殺して嫌悪する者に従おうとしている。そうしないと恥をかかせてしまう。だがそれは、恩師の言葉とは正反対の行為に他ならない。  果たして、どちらを選ぶべきなのだろうか。  途端、地球の重力が何倍にも増したかのように、保育室への足取りは鈍くなってしまった。   ※  テーブルと椅子が片付けられ、きいろ組はいつにも増して広々としている。  本日の活動では、子ども達に緑豊かな大木を作ってもらう。幹と枝が描かれた大きな模造紙に、葉っぱ型の画用紙を両面テープでペタペタ貼り付けて制作する。以前残業で大量生産した物だ。一人約十枚、予備を含めて二百枚近くある。  千佳が活動を先導し、鈴音は子ども達のサポートに回る。指先の微細運動が未発達な年齢であり、剥離紙(はくりし)()がすのは難しい。そこで保育者がうまくお膳立てをし、自分で貼れたという経験が味わえるようにする。そして、クラス全員で作り上げたという達成感を経験させたい。そんな目標の元、大がかりな工作が計画されたのだ。学生見学のため見栄えを重視した、と邪推してしまったが、黙っておこう。 「テープを剥がしてほしい子はいるかなー?」  声をかけると、ばばっと幾つも手が上がる。  活動開始直後から大忙しだ。目が回りそうになる。  欠席者はおらず、十八名全員参加だ。当然、大騒ぎになるのが自然の流れ。手伝ってほしいと所望し、貼れたことを褒めてもらいたがり、困ったら泣いて助けを求めてくる。担任の保育教諭三人で対応し切れるのか、限界の瀬戸際を行ったり来たりと反復横跳びだ。しかも、その様子を恩師と学生一同が見守っている。プレッシャーが半端ではない。冷や汗も脂汗も噴き出し放題で滝のようだ。  そんな中、マイペース()つ活動に参加しない子どもが一人。  田口金剛だ。  画用紙の葉っぱを手にしたまま虚空(こくう)に視線を送っている。見知らぬ若者達に興味津々、という訳でもなく、かといって怯えている様子もなく。首を緩慢に回して、そこにいない何かを追っている。  普段通りではある。しかし、学生達の目が問題だ。彼を放っておけば、保育教諭は何故対応しないのか、と幻滅されかねない。 「ねぇ、金剛君。葉っぱをペタペタしてみない?」  屈んで目線を合わせ、貼り方を実演して遊びを促してみるも、首を小さく傾げるだけだ。意味は理解しているようで、自身の手の中にある緑は一瞥(いちべつ)していた。だが、それ以上のアクションはなく、また何もない場所を気にしている。そこに学生はおろか友達も保育教諭もいない。ただの空隙(くうげき)でしかないのに。  活動に興味がない子を、無理矢理参加させてはいけない。  幼少期に物事を強制し大人の言いなりにさせてしまうと、後々の人格形成に多大な支障が出る。似たような記憶がある人もいるだろう。子ども時代に受けた理不尽は、大人になってからも引きずってしまう。そのため、あくまでも本人の自主性、主体的な行動を促すのが鉄則である。  しかし、言葉が響かないのももどかしい。  恩師が見ている、学生が見ている、同僚だって当然見ている。  これ以上、役立たずのお荷物という烙印(らくいん)を、押されっぱなしでいたくない。 「ぬ……“ぬゑらぜ”様も、やってほしいのかも、だよ?」  いけないと分かってはいたのに、気づけばその単語を口走っていた。  言っている途中で「しまった」と思い、語尾は弱々しく()の鳴く程度になっていた。それに、耳元でそっと(ささや)いた程度だ。しかし、口にしてから、罪悪感と自己嫌悪がどっと押し寄せる。  その名が意味する存在は知らないが、信仰されている何かを軽々しく言うべきではなかった。それも、二歳児相手に、まるで刷り込むように。
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