第一章:邪教

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 思い起こされるのは、ゴールデンウィーク前のことだ。  勤務開始から一ヶ月を機に面談の場が設けられた。離職防止のために新人の悩みを聞く、というZ学園の方針らしい。「決まりだから」と冬蔵に呼び出された。場所は他人の耳目がないようにと園長室だ。職員室の奥に扉一枚隔てて位置しており、その日初めて入室した。 「仕事の方は慣れたかな?」 「えっと、そうですね。まだ分からないことがいっぱいで、何と言ったら良いか」 「まぁ困ったら、馬場先生や勝山先生に聞くといいよ」 「はぁ」  その二人が上司として大変問題有りなのだが、適切に返す言葉が手元にない。  一応、彼も資格や免許を持っているらしいが、子どもと触れ合う姿は殆どなく、いつも園長室に引き籠りだ。そんな人に仕事の相談をしたところで、ろくな答えが返ってこないのは明白だろう。  それどころか、 「実はですね、一人気になる子がいまして」 「ふぅん、そうなのかい。手のかかる子ほど可愛いと言うし、頑張って見守ってね」  真面目な相談を適当にあしらうのだ。園長以前に人として信用できない。  もはや面談は時間の無駄でしかない。法人が出した方針をこなすため、「言われた通りに行いました」という免罪符が欲しいだけなのだろう。人と関わる仕事なのに、なんと機械的なことか。怠慢にも程がある。  溜息代わりに視線を落とすと、床に置かれた神棚が目に入った。教材倉庫と同様に、ぞんざいな扱いで転がされている。石のお供え物もあるあたり、中に不気味な置物もあるのは確定だろう。  ああ、駄目だ。  この園は、上から下まで見事に腐っている。  比喩(ひゆ)表現ではなく、本当に頭を抱えてしまった。  面談の一件から、上の者に相談するのは無意味。それどころか悪手だと知った。事態の悪化しか招かぬだろう。頼れる人がいないのだ。 「子ども達の前でお菓子は食べちゃ駄目だからね」 「は、はい……」  何事もなかったように、真矢子はにこやかに立ち去る。  ごく当たり前の注意のはずが、何か含みがあるのではと勘繰ってしまう。疑心暗鬼に陥りそうだ。  いけない。それでは思う(つぼ)ではないか。  カルト宗教や悪魔崇拝の類は、心が弱った人に近づいて、救いと称して引き込み信者にする。挙句、私財私生活全てをつぎ込ませて、骨の(ずい)までしゃぶり尽くす。などといった悪評は枚挙にいとまがない。  激務の渦中にいる今が、最も危険なのかもしれない。せめて自分だけは、この空気に飲み込まれないようにしないと。鈴音は両の拳を握りしめた。 ※  念のため教材倉庫を確認すると、案の定神棚はなくなっていた。無論、こけしに似た置物や化石のお供え物も片付けられている。怪しい断片は一つたりともない。  人目につかぬ場所とはいえ、外部の人が訪問するリスクを考慮したのだろう。学生達に不審がられぬよう、あらかじめ対策済みだったようだ。  となると、二階も同じだろうか。  倉庫の扉をそっと閉めると階段へ向かう。三歳以上の園児も午睡の時間なので、足音を立てずに上っていく。  二階には教材倉庫が二つある。保育室と向かい合う狭い方と、遊戯室と隣接する広い方だ。子ども達の眠りを邪魔せぬよう、調査対象は遊戯室側にする。  遊戯室の引き戸をそっと開く。中には誰もおらず、フローリングが日光を浴びてキラキラ反射している。保育部ではあまり利用しないせいか、見慣れぬ別世界のように感じてしまう。  物音を立てぬよう忍び足で倉庫入口へと向かう。こちらも悪戯防止で施錠されている。職員室より持ち出した鍵で開錠すると、埃の臭いがつんと鼻を突いた。  縦長でL字に折れ曲がった室内は、一階同様段ボールにまみれており、狭苦しく圧迫感で満ちている。折り紙や画用紙の他、長縄跳びや三角コーンなど、遊戯室で使用する器具がみっちりと。足の踏み場が殆どない。しかし、ある一角だけがぽっかりと空いている。以前神棚があった場所だ。やはり片付けられている。  (おおよ)そ学生達が入らない場所だろうに、念入りな隠蔽(いんぺい)工作に感心してしまう。それだけ隠し通したい事柄なのだ。カルト宗教あるいは悪魔崇拝との関わりが発覚すれば一大スキャンダル。園の存続はおろか法人全体の行く末が危うくなるだろう。世間が許してくれないのは明白だ。本気度合が伺える。 「あ、そういえば」  この先にもう一つ、部屋があったはずだ。  倉庫の奥へと進むと薄汚れた扉がある。年に一度かそれ以下の頻度でしか使わない物を保管する場所だ。存在は知っていたが、入る機会がなかった。  ここなら、隠蔽が行き届いていないかもしれない。  ドアノブを(ひね)ると、ひどく(よど)んだ空気がどろりと漏れてくる。しばらく人の出入りがなかったのだろう。噴き出す埃にむせてしまう。  薄暗い空間へ身を滑り込ませると、手前の倉庫以上に鬱蒼(うっそう)としていた。息苦しさも段違いだ。空間の大半が物で埋まっている。  置かれているのは、入園や進級を祝う看板や夏祭りで用いるだろう提灯(ちょうちん)の飾り、そして用途不明の青緑色の大道具だ。 「お遊戯会で使ったのかな」  それにしては、あまりにもおどろおどろしい見た目をしている。  大道具は段ボールと牛乳パックで組み立てられており、三つの柱が寄り添うように屹立(きつりつ)。短い物が一本、それを挟むように長い物が二本だ。そのどれもが青と緑の絵の具で乱雑に塗りたくられている。ただそこにあるだけなのに、胃の内容物がせり上がってくるかのような、気分を害する見た目だった。  そろそろ子ども達が起き始める頃合いだ。保育者の目が少ない状況で一斉に起床すれば事故の元。急いで戻らないと。  まるで逃げるための言い訳をするように、足早に二階倉庫を後にする。
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