第一章:邪教

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 きいろ組に戻ると、意外にも子ども達はぐっすりと夢の中だ。学生見学もあり、普段の保育とは違う環境で疲れたのかもしれない。おかげで熟睡だ。立ち上る寝息がほほえましい。 「何していたの」  小声だが、どすの利いた叱責が飛んできた。  千佳が部屋の隅でカリカリと、床を必死に引っ()いている。印を隠していたシールを剥がしているのだ。学生達がいなくなったため、これ以上貼っておく必要はない。元の状態に戻すのだ。この分だと、そのうち神棚も定位置に収まるのだろう。 「どこかで油でも売っていたのね」 「それは、その。教育部の先生に相談というか、なんというか」  咄嗟(とっさ)にそれらしいでまかせを並べる。  馬鹿正直に「倉庫の様子を見ていました」と言えば、余計な疑念を持たれかねない。口下手なりに舌を回すしかない。 「それならまず、上司の私や馬場先生に聞くのが筋じゃないの?」 「で、ですよね。ごめんなさい」 「それとも私達が信用できないってこと? 当てつけかしら?」  しかし、火に油だった。明後日(あさって)の方向に話が転がっていく。  信用できないのはその通りだし、カルト宗教か悪魔崇拝かの疑惑を抜きにしても、態度の悪い先輩に誰が相談するだろうか。まずは自分を省みたらどうだ。  と、本音をぶつけたいのはやまやまだが、気持ちばかりが先行して行動には移れない。真っ向勝負で言い返すのが怖くて仕方ないのだ。あと十一ヶ月我慢すれば終わるはず、それまでの辛抱だから耐えるんだ。という、後ろ向きな自分が、手枷(てかせ)足枷(あしかせ)になっている。  自信が持てないせいで、これまでいらぬ苦労をしてきたというのに。暗黒の学生時代からまるで成長していない。子どもがそのまま大人になっただけだ。 「まぁいいわ。それより、シール剥がすの手伝ってもらうから」 「……はい」  シールも神棚もそのまま放置すればいいのに。  それなら余計な不安を抱えずに済むし、今よりずっと心穏やかに過ごせるのに。  内心ぶつくさ文句を垂れながらも、千佳に(なら)ってシールと格闘を始める。今はただ、波風立てず周囲に馴染(なじ)むしかなかった。 ※  五月が終われば、いよいよ鈴音が保育の主導を担う。二ヶ月の猶予期間を経て、遂に保育教諭の仕事も本番だ。これまでの学びが試される。  一日の予定を組み立て、一週間で何をするか決めて、一ヶ月で達成する目標を定める。その全てを自分一人で構成するのだ。しかも、計画書に事細かな記載をし、園長や保育部主任からの承認を得る必要がある。何となく、では保育は成立しないのである。  そんな訳で、勤務終了後も残業になるのは至極当然な流れ。日が暮れても職員室に居残り、職員共用のノートPCと(にら)めっこしながら、汗水垂らして計画書を作成している。  園内統一のフォーマットはあるものの、初めての文書作成は右も左も分からず、四苦八苦の七転八倒。これであっているのか、と迷いながらキーボードを叩いている。  早く終わらせなければ。  計画書だけではない。来月のお便りも提出の締め切りが迫っている。残された日数はあと僅か。一分足りとも時間を無駄にできない。時限爆弾のコードを切断している気分だ。無論、経験はないのだが。  手元には、駄目出しされて返却されたお便りの下書きがある。至る所が赤ペンで修正されており、納得できる非難から首を傾げる指摘まで様々だ。最初から作り直した方が早いのではないか。  下書きを真矢子に提出したところ高評価だったのだが、案の定千佳は殆ど認めてくれなかった。予想通り「四大卒のくせに、お便りも作れないの!?」と言われた。手放しに褒められるよりかは学びになるだろうが、言葉のナイフが鋭利過ぎる。声帯が砥石(といし)で作られているのか。心がズタズタの満身創痍(まんしんそうい)だ。  そもそも、千佳はあくまでも単なる先輩であり、クラスを率いる一番のリーダーは真矢子のはずだ。自分が正義と独断専行する態度が問題視されたのでは、と毒づきたくなってくる。 「あーっ、思い付かないっ」  計画書を半分程度埋めたあたりで脳内はオーバーヒート間近だった。たった二ヶ月弱の経験では限界だ。  独力だけでは不可能。参考書を読もう。  気分転換も兼ねて職員室を出る。確か、クラスの本棚に共用の保育雑誌があった。計画書の例を参考に、きいろ組に合わせてアレンジをしよう。その方が早く終わるし、駄目出しも少なく済むだろう。  むらさき組の角を左折したすぐ先にきいろ組がある。職員室から目と鼻の先だ。子ども達も粗方帰宅したようで、廊下はそれなりに静まりかえっている。閉園時間ももうすぐだ。該当ページだけコピーして、残りの作業は退勤後にしようか。と、思案しながら角に差し掛かって、違和感が耳朶(じだ)を打った。  きいろ組からピアノの演奏が漏れていた。  子ども達が帰ったことを加味すると、十中八九、保育教諭の誰かが練習に使用しているのだろう。鈴音もよくしている。  しかし、問題はその曲だ。否、それは曲と表現して良いのだろうか。  聞き覚えのない、子どもが歌うのに適していないだろう異常な旋律。音痴でも分かる、音程とテンポの滅茶苦茶具合。しかし、悪戯で適当に鍵盤を叩くような、無軌道で無思慮な演奏ではない。  何と言えば良いか。しっくりくる表現が見つからない。  敢えて言語化するのなら“美しく狂った旋律”だろうか。鼓膜の内側を虫が這いずり回るような、得も言われぬ不快感が響いている。
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