第一章:邪教

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「ねぇ、金剛く――痛っ」  彼へと歩み寄った直後、足の裏に硬い痛みが走る。何かを踏んでしまった。  保育部の保育室では、原則上靴を履いてはいけない決まりだ。誤って幼い体を踏みつけては大惨事。硬い靴底が柔らかな骨をへし折ってしまう。保育教諭はもちろんのこと、保護者や教育部の子どもも守らなくてはいけない。  そのため、靴下あるいは裸足で過ごすのだが、足元の防御力はとても低い。足の裏に玩具(おもちゃ)が容赦なく食い込んでくるのだ。子どもは散らかすのが仕事、片付けの習慣も身につく途上にある。よって、出しっ放しの玩具が(きば)を剥く。特に凶悪なのはレゴブロックだ。プラスチック製の適度な硬さに角ばった形、その量と散乱しやすさが合わさり、地獄を演出する凶器と化す。足に目が欲しくなる。魚の目ではない。  でも、この感触は違うような……。  足の裏から伝わる形状は、ブロックというよりも小石だ。ここ数日外遊びをしていないのに、何故落ちているのだろうか。クラスの誰かが登園時に持ち込んだのかもしれない。  首を傾げながら小石を拾い上げる。  だがそれは、ただの小石ではなかった。  見覚えのある形状、そして模様。シャッターを彷彿とさせるそれは、三葉虫の化石だ。神棚に供えられていた物によく似ている。というよりも同一だろう。その辺にホイホイと化石が転がっていても困る。  どうして、こんなところに。  倉庫奥あるいは園長室にあるはずの物が保育室に落ちている。子どもが拾ってきたのか。それはあり得ない。悪戯防止で鍵がかかっているのだ。それなら職員の誰かだろうか。それもあり得ない。怪我(けが)の元になるのは明白だ、傷の処置や保護者への報告など、大変面倒な事になる。わざわざ持ち出すメリットがない。  じゃあ、ここに落としていったのは誰?  三葉虫を手の中でいじっていると、今度は異様なメロディが漂ってくる。聞き覚えのあるそれは、不快感を湧き起こさせる“美しく狂った旋律”だ。  発信源は――案の定、千佳だ。おままごとに興じる女児二人の間で鼻歌を奏でている。その双眸(そうぼう)斜視(しゃし)のようにズレていた。  女児達は鼻歌や千佳の様子に一切の関心を払わず、野菜を模した玩具を用いて料理ごっこに夢中だ。いや、気付いていない、あるいは聞こえていないのかもしれない。鼓膜の上で虫が這いずり回るような不快感の渦中にいて、幼子が平気な顔でいられるだろうか。少なくとも、鈴音には無理である。  子ども達の前では異常性を隠す気がない。のではなく、そもそも感知していない。既にカルト宗教または悪魔崇拝の傘下にあり、それらを不快に感じないのではないか。発覚して困るのは、保護者や外部の人間だけなのかもしれない。  だとすると、自分はどうなのだろう。  園の職員なので純然たる関係者だ。しかし、異常を察知しており、不快感も持ち合わせている。  だが、それは逆に、園内において異物と言えるのではないか。果たしてこのまま居続けて大丈夫なのだろうか。不安の種火がじりじりと(くすぶ)り始めている。  遠くの空で雷鳴が(とどろ)く。暗雲を引き裂くように鋭く稲妻が走った。 ※  時刻は午後一時。昼真っ盛りな時間だが、雨雲の下では薄暗く、どんよりとした湿気が垂れ込めている。  どうにか子ども達を眠らせた後、見守りを真矢子に任せ、鈴音は職員室へやってきた。正確に言うと強制的に連れ出された。千佳が直々に言いたいことがあるそうだ。古の時代にあったらしい、校舎裏に呼び出されるイベントだろうか。絶対まともな話ではない。経験がそう告げている。 「今日の保育は何なの。目も当てられないほどグダグダじゃない」  やはり、お得意の叱責タイムだった。  小言で子ども達が起きないよう配慮して、場所を移してくれたのだけは温情だろうか。しかし、タイミングが悪いことに、職員室に職員は誰もおらず。そのせいで二人きり、無駄に広い密室だ。止める者も(なだ)める者もおらず、詰問(きつもん)苛烈(かれつ)さは増していく一方。これなら保育室で静かに責められる方が圧倒的によかった。早く帰りたい。 「大体あなたは日頃から暗いのよ。付け焼き刃でいくら取り繕っても陰気さが(にじ)み出ているから。子どもに好かれないのは、あなたの本性が見抜かれているからね」  生来陰気なのは認める。無理して周囲に合わせているのも的を射ているだろう。  それでも、保育中にがなり散らす人にだけは言われたくない。ねちねち責め立て悦に浸る性格の悪さの方が、よほど子どもに見抜かれているのではないか。  反論は幾らでも思い付く。しかし、(のど)元で引っかかるだけだ。紙詰まりを起こしたコピー機のように絡まっている。  売り言葉に買い言葉をしない大人の対応、と言えば聞こえは良いだろう。だが、本当のところ、単純に怖いだけだ。耐え(しの)げばいつか嵐は過ぎ去るはず。我慢に徹し続けている。 「どうせオタクってやつなんでしょ。社会人になってもアニメにゲーム、子どもの遊びばかりしているから、まともに保育もできない不良品になったんじゃない?」  だが、その言葉に神経が切れかけた。  オタクかどうかは関係ないでしょ!? それにアニメやゲームが子どもだけの趣味だなんて、一体誰が決めたの!?  旧時代の錆び付いた考え方に、呆れと憤りがない交ぜになって火山よろしく噴火しそうだ。  もはや我慢の限界。激情の(おもむ)くままに掴みかかりたい。全力で喚き散らしたい。ついでに一発殴りたい。  怒りで卒倒しそうになるほど、脳味噌が紅蓮の炎に染まっていき、 「今の言葉、訂正してもらえるかな」  爆発は寸止めされた。 「はぁ?」 「だから、オタクがどうとか侮辱した発言を、訂正してくれって言ったんだよ」  振り返ると、職員室の入り口に澄法がいた。引き戸に背中を預け、大きな瞳で千佳をじっと見据えている。
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