第一章:邪教

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「ちょっと霧島先生」 「は、はいっ」  背中から嫌な汗がどっと噴き出た。首筋がチリチリと(しび)れるように痛む。  声を聞くだけで、全身が恐怖にわなないてしまう。  千佳だ。知らぬ間に背後に立っていた。あまり関わらぬよう、なるべく距離をとっていたのに。自身の危機管理の至らなさが恨めしい。 「ぼさっとしてないでよ。さっさと次の準備を始めてくれない?」  月初めから変わらぬ高圧的な物言いだ。(いばら)のように刺々しい口調に、心臓がきゅっと締め付けられる。  次の準備とは、外遊び終了後の活動についてだ。本日の予定の場合、各自の水筒で水分補給後、きいろ組保育室にてダンスを踊る。そのため、今のうちに室内を片付けろ、という意味である。スムーズに活動を移れないと、子ども達の集中力が途切れる可能性が高まり、喧嘩や事故など怪我に繋がる事案が発生してしまう。理屈も役目も理解しているのだが、執拗に叱責されているように感じて辛い。心が荒みそうだ。  それとなく「もっと言い方があるでしょう」と、伝えたい気持ちはあるものの、言える立場ではないし、言う勇気もない。低姿勢で「分かりました」と答えると、足早にきいろ組へ向かう。  距離を幾分離したおかげか、速度を増していた心臓の鼓動が下降していく。胸の痛みも徐々に和らいでいく。  風の噂という名の、園職員同士の井戸端会議で聞いた話によると、千佳の態度は昨年度から問題視されていたとのこと。受け持つ子ども達を思い通り従わせようとした、とか何とか。そのためベテランと組ませて再教育しよう、という目的もあって、きいろ組に配属されたらしい。新人を抱き合わせてクラス運営させるのは、流石に無謀でだったのではないだろうか。現に、子ども相手か同僚相手か問わずに、彼女の言葉は凶器の鋭さを保ったままだ。新人が言うのはおこがましいかもしれないが、噂が事実とするなら、園上層部の人事は大失敗としか思えない。  やはり、彼女は苦手だ。  勝山千佳という人物自体そりが合わないのは当然のこと、中学生時代のトラウマが刺激されるのも大きいだろう。  なるべく目立たず波風立てずを信条にしていた当時。努力の甲斐(かい)なく、女子グループのお山の大将に目をつけられてしまった。苛烈ないじめを受けたせいで不登校になった黒歴史だ。おかげでその主犯格にそっくりな、高圧的な女性が大の苦手になった。関わる度に寿命が縮まる思いだ。あと一年弱でどれくらい減るのか、今から怖くてたまらない。 ※  ランチタイムはお洒落(しゃれ)なお店で一休み。仕事の疲れはリフレッシュ、午後からの業務も元気もりもり頑張るぞ!  そんな社会人一年目だったらどれほど良かっただろうか。  保育の現場のランチタイムに安寧(あんねい)など存在しない。僅かな癒しすらなく追撃の責め苦が訪れる。  それが給食の時間だ。もはや戦争、いつ爆発するともしれぬ火薬庫である。  咀嚼(そしゃく)嚥下(えんげ)が未発達のため、誤飲の可能性が常に付き纏い気が抜けるはずもなく。嫌いな食べ物を前に(へそ)を曲げてぐずる暴虐無人ぶりを発揮する可能性も大。そこに食物アレルギー持ちの子が加われば、もはや張り詰めた綱渡りの曲芸状態だ。そんな中で誰が落ち着いて食事ができようものか。食物を胃袋へと流し込むだけの栄養補給の時間と化している。  食べ終わればすぐに午睡、お昼寝の時間だ。三歳児以上なら途中で遊びの時間が挟まるのだが、二歳児クラスの場合間髪入れずぐっすり夢の中が基本になる。早食いの子から自分の布団へ、遅い子はいつまでも席に残って食べ続けている。そして担任総出で寝かしつけをして、落ち着いた頃合いに給食の片付けをする。ご飯粒が床一面に散らばり(のり)状になった惨状は目も当てられない。おかずが納豆和えなら尚更だ。端的に言えば地獄。放置すれば虫が湧くし、臭いが酷くて耐えられない。消臭スプレーが必須だ。  全員眠ればやっと一息つける。と、安心するのはまだ早い。子ども達が無事睡眠がとれているか、十分おきに呼吸の確認をする使命もある。また、昼寝中は連絡帳を記入する貴重な時間だ。予定より早く起きてしまう子もいるため、休憩を挟む余地は殆どない。 「今日はこの子達の分をお願いね」  柔和な笑みを浮かべた真矢子が連絡帳の束を手渡してくる。目元の小皺が深い。長年保育に携わる人にありがちだ。よく笑うため、皺がくっきり刻まれていく。外遊びによる日焼けで肌が劣化したとか、重労働のストレスで老化が早まったとか、身も(ふた)もない諸説もある。ともあれ、職歴の年輪と言えるだろう。  連絡帳の記入は三等分、一人六人分がノルマだ。園児それぞれの、今日の姿を書き記していく。例としては、「砂場で山を作っていました」とか「三輪車がお気に入りみたいです」とか。他愛のない内容ならいくらでも書ける。一日の、正確には午前中の様子を、ありのままに伝えればいい。文章を組み立てるのは大変だが、題材自体は簡単なので苦痛はそれほどない。  困るのは、保護者から育児相談を受けた場合だ。 「あの、馬場先生」 「もしかして、また金剛君のお母さんから?」  申し訳なさいっぱいに、おずおずと(くだん)の連絡帳を渡す。  うららからの育児相談はこれで二度目だ。「桃華に比べて言葉を覚えるのが遅くて心配だ」「いつもぼんやりしており何を考えているか分からない」といった調子で、金剛の発達に不安を抱いているらしい。  確かに無口で大人し過ぎるのは保育士目線でも気になっている。また普段の、何もない場所をじっと見つめている姿は、フェレンゲルシュターデン現象を想起させる。猫が何もない空間を凝視しているのは、そこに幽霊がいると察知しているからだ、という有名なデマだ。気を揉む親心は理解できる。  しかし、子どもの発達は人それぞれだ。早い子は早いし、遅い子は遅い。過度な不安は子どもにも伝播(でんぱ)してむしろ悪影響だ。大学の授業でも度々議題に上がっていた。  しかし、そのまま伝えてはいけない。「心配し過ぎです」などと突き放す書き方をすれば、保護者との関係に亀裂(きれつ)が入り、余計な軋轢(あつれき)を生む結果になる。かといって、相談を無下にするのも(はばか)られる。  こういう時、どう返せばよいのだろうか。せめて研修期間に教えて欲しかったがそんな期間はなく、就職後すぐに実戦投入されてしまった。現場で身につけていくしかない。
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