残暑の彼女

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残暑の彼女

 (せみ)の音で目が覚めた。 「……あれ、俺……」  窓から差し込む夕日に頭痛が疼き、目を細める。  ここは古いアパートの一室。畳の上で眠っていたようだ。  今は何時だろう、そもそも何月の何日で、寝落ちる前は何をしていたのか。  蝉が鳴いているということは夏だろう。だが指先がかじかむほどに寒い。  立ち上がろうと手をつくと、カサリと何かに触れた。 「……眠剤の、殻……?」  空になった睡眠薬のシートが床に散らばっている。 「なん、で……これ、俺が」  ズキンと頭痛が響いた。  ふと、キッチンの近くにあるカレンダーに目をやる。 「2月……?」  バカなとスマホを手に取る。やはり2月の頭と表示される。  立ち上がり、蝉の音を聞きながら窓を開けた。  風が冷たい、凍りそうなほどの冷気だ。呼気が白く浮かぶ。 「なん、で」  ミンミンミンミン、ジワジワジワジワ。  確かに聞こえている、けたたましいほどに響き渡る夏の声。  ミンミンミンミン、ジワジワジワジワ。  暑い、うるさい、止まらない。  ずっとずっと、耳元で。  ミンミンミンミン、ジワジワジワジワ。 「……ああぁっ! うるさいっ!」  叫んで頭を抑えるも、鳴り止まない。  目の前に散らばる眠剤の殻。倒れたコップ。吹き荒む冬の風、古びた畳。  ガンガンと蝉声と共に貫く頭痛。 「…………あぁ、そっか」  思い出した。たった数時間前だ。  響き続けるこの夏の声を止めたくて、眠剤を飲んだのだ。 ――――『上手ね』  あの人の声を、忘れたくて飲んだのだ。  震えている自分の手が。真っ赤に染まっている。  血の色だ。あの人を刺した時の、赤色だ。 「……くっそ」  終わらない。  きっと彼女に従わなかったからだ。  彼女と出会ったのは、数ヶ月前の9月。  残暑が厳しくて息苦しかった頃の季節だ。 ――――『殺したいんでしょう?』  汗ひとつ伝わないような耽美な微笑が、脳裏から離れない。
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