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1ー⑶
流介は地方新聞の記者であり、奇譚小話の記事を書くのが目下の仕事なのである。
流介が暮らしている港町、匣館は古くから貿易の要所として栄えている街で、その歴史は鎌倉時代にまでさかのぼる。流介が働いている匣館新聞社が読物に力を入れているのも、新しい鳴事の気風を取り入れつつ読者を増やそうという考えからだった。
天馬と安奈の義父となるであろう人物、梁川隈吉は匣館戦争以前は子分数百人を抱える侠客の大親分であった。
得戸の生まれで新門辰五郎の子分だったという隈吉は、この北開道で博徒たちの頭領となり、匣館戦争では榎本の信頼を得て子分を貸したと言う話だ。
戦争終結後、戦場には敵味方入り乱れ死体がごろごろと転がっていたが、勝者である新政府軍にとっててこである旧幕府軍の戦死者を弔うことは反逆行為であった。
しかし隈吉は「亡くなった者に敵も味方もあるか」と子分たちを大量に動員し、敵味方を問わず大量の戦死者たちを実行寺の力を借りて葬ったのである。碧血碑はその時の戦死者たちを『義に準じた武人の血は三年経つと青くなる』という清国の故事になぞらえ建てられた物だった。
隈吉は戦争が終わった後はすっぱりと組を解散、現在は旧幕軍と新政府軍双方の戦死者を祀ることに余生を捧げている。
べらんめえ口調で眼光鋭い隈吉と榎本が一緒にいる所を見る機会など、そうはないだろう。
――榎本公がわざわざ案内してもらってまで確かめたかった「塔」とは一体何なのだろう?
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