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「この塔は何のために建てられたのですか?」  流介が尋ねると多近と名乗る男性は愉快そうに「鳥と星を見るために建てたのですよ」と言った。 「本当にそれが理由なんですか?」 「……というのは冗談で、本当はエレベートルの試運転とアーク灯の研究のために建てたのです」 「エレベートルとは?」 「電気動力で上下する籠ですよ。人を乗せて高いところに運び、下ろす機械です」 「ああ、そう言えば聞いたことがあります。海外にはあるようですね」 「はい。パリの万博では大会の象徴であるエッフェル塔に付けられたと聞いています。近々日本でも、浅草に建設されると噂の七十尺近い塔に付けられるようです。  私はそれを聞いていてもたってもいられなくなり雇い主に「浅草の半分でいいから小さな塔を建てさせてほしい」と頼みこんだのです。一応、塔の外壁にも梯子があるので万が一、エレベートルが故障しても下りることだけはできます」  多近の目線を追った流介は塔の外側に長い鉄梯子があるのを見て、あれで五階まで上り下りするのは至難の技であろうなとため息をついた。 「ひょっとして、榎本武揚公もどこかでからんでいるのではないですか?」  流介は碧血碑の前で一生懸命、塔を探していた武揚公を思い出して尋ねた。 「そうです。榎本様と私の雇い主である谷地古太郎(たにちこたろう)様が知り合いだったことから、「星が思う存分みられる塔か、それはよいな」と支援してくださることになったのです。  榎本様は浅草に建てられる塔を設計したウィリアム・バルトンという技術者と日本写真会という会で一緒だったそうですから、塔の話を聞いて興味を持たれたのでしょう」 「確かにこの高さなら星も鳥もよく見えそうですね」 「ここまでいらっしゃったのも何かの縁です。ひとつ上の展望台まで上ってみませんか?」      突然、塔の見学という願ってもない誘いを受けた流介は、戸惑いつつ絢の方を見た。 「あの、私も一緒に上らせて頂いて構いませんか?」  絢が身を乗り出して言うと、顕三郎は「ええ、もちろん大歓迎です。……では私は先に中に入ってエレベートルの準備をしてまいります。少々、お待ちください」と言った。 「この塔のてっぺんまで籠で運ばれるのか。電気で天守閣に登る塔など想像もつかないな」  流介が冗談めかして言うと、絢が「素敵、西洋の鐘楼みたいですわ」とうっとりした表情で応じた。しばらく待っていると塔の入り口から再び顕三郎が姿を現し「お待たせしました。なんとか発動機が動き出しました。それでは天守閣にお連れする前に、まだ宵の口ではありますが塔のアーク灯に火を灯してみましょう」と言った。  顕三郎が塔の中に引っ込むと、しばし間を置いて薄闇の降りた空地をアーク灯のまばゆい光が照らし、塔が不夜城のように輝くのが見えた。 「こいつはすごい……電気で光る塔とは」  流介が驚きのあまりその場に立ち尽くすと、「さあ、籠の準備ができましたよ。中にお入りください」と顕三郎の自信に満ちた声が耳元に届いた。
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