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「えっ、対談記事を書くんですか?僕が?」  新たな奇譚をこしらえようと机に向かい唸っていた流介は、先輩記者の笠原升三(かさはらしょうぞう)から思わぬ仕事を命じられ目を白黒させた。 「そうだ。わが社の創設者、杉浦加七(すぎうらかしち)氏と鉄道を中心に幅広い事業を手掛ける谷地古太郎氏が明日、お前さんのよく知っている『梁泉』で対談をすることになった。そこで記録担当の白井君、写真部の住田君と一緒に行って司会をしてくれないか」 「そうはいっても僕は読物担当で対談記事を書いたこともなければ司会をしたこともないんですが」 「そうは承知の上だよ。とにかく旧知の二人の話を相槌を打ちながら盛り上げてくれればそれでいいんだ」 「そんな大物たちの対談に、奇譚ばかり書いてる記者を放り込んで大丈夫なんですかねえ」  流介が大げさにぼやいてみせると、「とにかく二人が旨い物を食べつつ交わした話を、要領よくまとめてくれればそれでいいんだ。……じゃあ頼んだよ」と他人事のように言った。  ――やれやれ、本当は自分が気乗りしないので後輩に下駄を預けたな。  流介はため息をつくと、打ち合わせをすべく奥で記録の仕事をしている白井佐和の机に近づいた。                 ※ 「とにかくたまげてしまいましたね」  谷内頭にある料理屋『梁泉』で、名物の泥鰌(どじょう)鍋を口にしながらその人物は身振り手振りを交えて言った。 「そんなに凄いのですか、巴里というところは」  匣館新聞の創業者、杉浦加七が身を乗り出して尋ねると鉄道会社を経営する谷地古太郎は「そうです」と満足げに頷いた。 「……住田君、君も話の内容を覚えて置いてくれ、僕と白井君だけだと心もとない」  流介は脇で控えている写真部の住田源造に囁いた。 「エッフェル塔という鉄塔があって、まだ作りかけなんですがその下の方がアルファベットのAみたいでしてね。力強さが欧州の先進性を感じさせるのです。他にも蓄音機やら電話機やら、ここは未来の世界かと思いましたよ」 「チクオンキ?デンワキ?なんですかそれは」 「チクオンキは音を保存して家で聞ける装置です。デンワキは離れた場所にいる人に声を伝える装置。デンワキが実用化されたら手紙の返事を一日千秋の思いで待つこともなくなるというわけです」 「ふむ。そうなったら郵便屋は廃業ですな。せっかく逓信(ていしん)省ができたばかりだというのに」 「……まあ実用化されてこの国に入って来るのはだいぶ先のことだと思いますがね」 「そうでしょうなあ。なにせこの国はご一新からたかだか二十年、欧州には到底追いつけそうもない」 「とにかく素晴らしい催しですよ、万博は。倫敦万博の水晶宮も美しいですが、回を重ねるごとに人類の発展を実感させてくれます。あのジューヌ・ヴェルヌも慶應三年のパリ万博で見た水族館に感銘を受けて『海底二万里』を書いたそうですからね」
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