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5、窮地を脱した少女
そんな物は証拠になりません、お引取りを。
オークとの死闘を繰り広げた翌日、羽澄は中央棟の警備課へとやって来た。例のガラス片を持ち込んで、罪を証明しようとしたのだ。しかし、そうまでしても所員の態度は冷たい。
羽澄は怒りを滲ませ、激しく抗議した。しかし、警備所員は顔色1つ変えなかった。
「どうしてそう言い切れるんだ、もみ合った現場に落ちてたんだぞ!」
「では聞きます。犯人はあなたの目の前で、モバイルバンドを破損させたのですか?」
「いや、そうじゃないけど……。でも、有力な手がかりに成りうるだろ?」
「第三者の物である可能性が捨てきれません。よって証拠と認める訳にもいきません。ご理解いただけたら、どうぞお引取りください」
若い警備所員は、そう言い放つなりカウンターを離れた。そしてスチールデスクに戻り、パソコンで作業を始める。
話にならない。別の所員に抗議するべきか。そう思っても、この警備詰め所には他に誰も居ない。羽澄は引き続き、この鉄面皮の如き男に暴言を投げつけた。
「お前らは本当に仕事をしないな! 何が警備担当だ、とっとと本土に逃げ帰れよ!」
すると所員は静かに腰を上げた。そして再びカウンターの方へと歩み寄る。
羽澄は眼尻を上げつつ待ち受けた。もはや、ケンカでも押し問答でも構わない。トコトンやりあってやると、荒々しい闘志を剥き出しにした。
しかし所員は誘いに乗らない。カウンター上の花瓶や置きチラシを整えるなどして、羽澄には目もくれない。
それが更なる怒りを買う事になる。
「お前! 人をコケにするのも大概に――」
「静かに。声を落として。誰かに聞かれたら厄介です」
「ん? ンン……?」
「あなたが憤慨するのは理解できます。しかし、あまり首を突っ込まぬ事です。何か不幸があってから悔やんでも、遅いのですから」
「何だよ、脅す気か?」
「いいえ、老婆心です。とにかく、犯罪は未然に塞げたのでしょう? 被害者は無事だったのでしょう? 今回はそれで良しとしてください」
「本土なら、未遂でも罪に問われる犯罪だろうが」
「ここは共成所です。まかり通るルールも、あちらと似て非なるもの。あなたもいずれ理解するでしょう。では、私はこれにて」
それきり、所員は詰め所の奥に引っ込んだ。羽澄がどう喚こうとも、応答する様子を見せなかった。
「まったく、何なんだよ! やる気がないどころか、犯人を庇ってるみたいじゃないか!」
憤慨冷めやらぬ羽澄は、警備課を飛び出した後も、延々と辺りをうろついた。そして荒くベンチに腰を落とす。
その時に気づいたのだが、正面はバスケットコートだった。更に根岸が数人集めて、白熱した3オン3を繰り広げている。
気楽なものだと羽澄は思うが、そもそも根岸は事件と無関係だ。彼が全力でスポーツを満喫しても、何ら誤りはないのだ。
「喰らえ! 炎の3pシュート!」
根岸の大見得きった一打は大きく外れて、フェンスに激突。彼は続けて『昨日寝てねぇからな、マジつれぇわ』と、聞かれてもいない不調要因(デバフ)を声高に告げた。
そんな試合の成り行きを羽澄が見守ったのも、ここまでだ。以降は、事件の今後について考え込むようになる。
「所員が当てにならない事は分かった。じゃあどうするか」
羽澄は正直なところ、犯人を追い詰めたいと感じていた。このまま逃げ得を許してはならない。罪を犯したものは裁かれるべきだ。そんな熱意が、腹の奥から吹き出して止まらなくなる。
「あの野郎を捜し出してやるか。まぁ、今の今まで見つかってないんだが」
羽澄はここに至るまで、目敏くも通行人のモバイルバンドをチェックしていた。しかし、ただの1人として、破損した物は見つかっていない。
それに犯人は、人混みでも目立つほどの大男だ。腕など見なくとも、真っ先に目星がつく。ただし、肝心の男を見かける事は無かった。
「どこに消えたんだ。もしかして、寮の中に引きこもってるとか?」
羽澄は苛立ちを覚えて、痒くもない頭を掻いた。
するとそこへ、羽澄の正面を見知った顔が通ろうとした。細い足に反して妙に早歩きの男。ルームメイトの伊藤公好である。
「伊藤。何してんだお前?」
「あぁ羽澄君。これはお手伝いだよ。所員さんに頼まれてさ」
伊藤は段ボール箱を両手で抱え持っている。大した重さで無いことは、顔色から察しがついた。
「一体何を運んでるんだ?」
「共成者の私物だよ。突然『栄転』が決まったらしくてね。所有者はもう島に居ないんだってさ」
「もしかして、お前が荷物整理を? 普通は本人がやるもんだろ」
「僕もそう思う。でも突然決まったそうで、彼はもう本土なんだって。だから手の空いた人に、後片付けを依頼したみたいだよ」
「分かるような、分からんような話だ」
「まぁ大して手間じゃなかったよ。物は段ボール1箱に収まったもん。荷物整理よりも、部屋掃除の方に時間を割いたくらいだ」
「手伝ってやろうかとも思ったが、今更のようだな」
「平気さ。それに、せっかくのバイト代を山分けだなんて、バカバカしいよ」
「金を貰える話なのか?」
「タダ働きなんてゴメンだからね」
伊藤は、そこで立ち去ろうとした。しかしその時、段ボール箱の底が抜けた。中身が勢いよく溢れ、辺りに細々とした雑貨が散らばってしまう。
「うわっ、やっちゃった! ガムテで止めとけば良かった」
「大丈夫か。手伝ってやる」
「うん。ありがとう。でもバイト代はあげないからね」
「金目当てじゃないっての。良いからお前も手を動かせ」
歯ブラシ、歯磨き粉、タオルにマンガ本。羽澄はそれらを拾い上げるうち、ふと手が止まる。
目についたのはモバイルバンドだ。更には保護ガラスが無く、液晶が剥き出しだった。羽澄がイメージした通りの壊れ方である。
「伊藤ッ! コレどこで手に入れた!?」
「えぇぇ? どこでって、栄転した人の部屋だよ」
「そいつの顔は分かるか、名前は、背格好は!?」
「いやいや知らないよ。僕は後片付けを頼まれただけで、知り合いって訳じゃないんだ。それよりも返してくれよ、時間に遅れちゃうだろ」
伊藤は、羽澄の手からモバイルバンドを取り返すと、中央棟へと向かった。そして駐車場で停車する車に近寄り、後部座席に段ボール箱をしまいこんだ。
それから間もなく、車はいずこかへと走り去っていく。羽澄が介入するだけの猶予は無かった。
「クソッ。数少ない手がかりが……!」
じわりと無力感に襲われた羽澄は、肩を落として彷徨い歩いた。
そうして訪れたのは食堂傍のラウンジ。ドリンク類が無料提供されており、人気スポットの1つである。
羽澄は、アイスカフェオレを注いだ紙コップに片手に、空いた席に腰を降ろした。
「ハァ。何でこんな訳の分からん事に巻き込まれてんだ……」
羽澄は共成所、通称『牢獄島』について何も知らないし、知ろうとも思わなかった。彼は死ぬためにやって来たのだから当然だ。探究心は、生きようとする者に宿るものなのだ。
だが彼は死ねなかった。そして今は、自害する気持すら遠ざかっている。それは健全になったと言えるのだが、彼の心は穏やかでない。健やかを自認するには、謎が多すぎるのだ。
化物やモノクロームの世界。異質な剣。レヴィンという謎の老人に、不思議なタトゥー。そこへ更に、凶悪犯罪を目の当たりにし、所員の機能不全までもが積み上がる。
「マジで訳わかんねぇ! 何なんだこの島は!」
発作的に後頭部を爪で掻いた。怒りに任せてガリガリと。ツンとした痛みが脳裏に走るまで、その手癖は続いた。
するとそんな折に、羽澄の前で1人の少女が立ち止まった。そして、消え入りそうな声で話しかけられた。
「人違いだったら、すみません。アナタは羽澄さんですか?」
青ツナギの共成者だ。体つきは華奢で猫背気味、茶色のボブカットに、毛束の細いサイドテール。それとは反対側の頬に大きな湿布。
羽澄には、この少女には見覚えがあった。
「何だっけ。名前は確か、篠束?」
相手は力なく微笑むと、静かに頭を下げた。
「篠束結姫(シノヅカユキ)です。先日は本当にありがとうございました。あの日、アナタが現れなかったら、どうなっていたか……」
「気にするなって言ったろ」
「そう言う訳には……。もしよろしければ、ご一緒しても?」
「まぁ別に。好きにしろよ」
「では失礼します」
少女は対面に腰を降ろした。
こうしてみると、やはり小柄である。座高ですら羽澄よりも頭1つ分は低い。体格だけ見れば、中学生ですら怪しいかもしれない。
それでも所作の美しさ、礼儀正しさからは、幼さを感じさせない。その不釣り合い加減を、少しだけ新鮮に思う。
「頬の怪我は大丈夫か?」
「それはもう、おかげさまで。見た目ほど酷くないそうです。しばらくは腫れますが、骨に異常はないとの事でした」
「それは良かったな。少しだけ気がかりだった」
「お気遣いありがとうございます。やはり羽澄さんは優しいお方なんですね」
篠束は、両手を揃えて微笑んだ。花も恥じらう、という言葉が似合うほど、美しい娘だ。年頃の青年であれば、何かしら好印象を抱きそうだ。
しかし羽澄には、微かな違和感がよぎる。理由は見当もつかないが、腹の底で虫が疼くようにも感じられた。
「ところで用はなんだ。それだけか?」
「あっ、すみません。本日はささやかながら、お礼を持って参りました!」
差し出されたのは、箱型の菓子である。本土ならコンビニでも見かける、ありふれた品だった。
だがこの共成所に限っては希少品だった。ここは私物や現金の持ち込み不可。食品は原則、食堂にしかない。そこでデザートは見かけても、市販の菓子は扱っていない。
一体どうやって入手したのか。疑問を抱いた羽澄は、ジッと箱を睨みつけた。すると篠束は、事態を曲解して震えだす。
「あの、もしかして、お気に召しませんでした? 『キノコのツケボー』より、『エブリタケノコー』の方がお好きだったり……」
「そうじゃない。オレが気にしてるのは」
「いいえ、そもそもこんな安物ではお礼になりませんよね! 大変失礼しました! ここはやはり、ゴリラやハスキーズの生ショコラ詰め合わせ辺りを買い漁り、極上トロットロの甘味をお届けすべき――」
「だからそうじゃない! まずは聞け!」
「はい聞きます! なんなりと!」
篠束が着席したまま飛び跳ねる。その様を目の当たりにした羽澄は、かすかな頭痛を覚えた。
「このチョコ、どうやって手に入れた?」
「中央棟の売店です。今朝方、そこで買ってきました」
「店があるというのは、聞いた事がある。だがオレらは金なんて持ってないだろ。所員なら買えると思うが」
「いえいえ。私達にも買う手段はありますよ。もっとも、独自通貨ですけど」
「どういう事だ?」
篠束はそこで、自身のモバイルバンドを見せつけた。液晶画面には、氏名や日時という基本情報に加えて『600N』と表示されている。
それが金の代わりであり、この共成所でのみ使用できる通貨なのだと言う。
「Nと書いて『ニコリ』って読むのか」
「この共成所には、奉仕活動というものがありまして。そこで働くと、内容に応じてニコリが貰えるんです」
「つまりは、それで買い物が出来ると」
「ご明察です。羽澄さんは飲み込みが早いんですね」
褒め称える仕草に、やはりイラつくものがある。それでも羽澄にとって有益な情報であった。テイの良いアルバイトをすることで、売店を利用できるようになると。
「そのシステムは知らなかった。助かる」
「いえいえ、とんでもない。それよりも、お礼については日を改めても宜しいですか?」
「オレは構わないが、どうする気だ?」
「気が急ぐあまり、安物をお渡しする所でした。こんな、女子会に持参しても非難されそうなものを……大恩人であるアナタに……!」
「おい、落ち着けよ。勝手に盛り上がんな?」
「やはり近道すべきではありませんでした! これから毎朝毎晩働いてとてつもなく得難い物をご用意しますね! 日勤夕勤をツメツメのツメにすれば学生には無縁の品だって手に入る――」
「落ち着けって言っただろ!」
「はい落ち着きます速やかにッ!」
篠束は再び硬直した。その弾みでテーブルの脚を蹴りつけてしまい、騒がしくしてしまう。
羽澄は大きな溜息を溢すなり、何気なく篠束の身体つきを見た。肩も腕回りも細くて頼りない。そんな少女がハードワークに埋没したなら、早晩に倒れるだろう。無理をさせるべきではない。
そんな感想を思い浮かべていると、またもや誤解を与えてしまう。篠束は既に冷静さを失っていた。
「あの、もしかして、そういったお礼をすべきでしたか? 身体で奉仕するという……」
「どうしてそうなる!? 発想が飛躍を超えてワープしてんぞ!」
「あぁ、どうしたら良いのでしょう……。私の身体はまだ未完成で、満足いただくのは難しいかと。心からガッカリさせてしまうと思われるのですが」
「面倒くさッ! もうその菓子よこせ、それでチャラにしてやるから!」
羽澄は強引に菓子の箱を奪い取ると、力任せに開けた。中身を手掴みにして、口いっぱい頬張る。
キノコの柄に当たるビスケット生地が、口内から容赦なく水分を奪い去っていく。食い方が無謀すぎたと思うが、後の祭りだった。
「わぁ豪快。実はお菓子がお好きですか?」
「ふぁりと。ゴホン、割と」
「あっ、でも漬ける用のチョコが丸々残ってますね。やはり無理をされているのでは……」
モガモガ、ズルズルズルッ!
羽澄は気迫で一気食いした。口の中は、渇くやら甘ったるいやらで大騒ぎだ。
カフェオレで流し込もうと試みるも、あいにく、そちらも甘め。無糖をチョイスしなかった事が激しく悔やまれた。
「ゲホッゲホ……。う、美味かった……」
「お喜びいただけたでしょうか?」
「あぁ、そうだ。最高だったよ、久々のチョコは良いな」
「それにしては険しいお顔。やはり、真っ当なお礼が必要なのでしょうね。何か良さげなものは無いものでしょうか」
「分かった、じゃあこうしよう! 贈り物は要らんから情報をくれ、情報!」
「情報ですか? 具体的には、どのような」
「特に制限はない、任せる。オレはここに来て日が浅いから、知りたい事はいくらでもあるんだ」
羽澄は出任せ半分で告げたのだが、冷静になってみても、悪くない提案だと思う。下手に物を受け取るより遥かに有益だった。
一方で篠束も、感じ入ったように頷いている。どこか腑に落ちたような仕草である。
「なるほど、なるほど。では何かしらの情報をお知らせすれば良いのですね」
「そうだ。だから無理してお礼を買うとか、考えなくて良いぞ」
そこで篠束の顔が大きく綻ぶ。不安げな表情は追いやられ、純粋な笑顔になった。
「分かりました。では情報を集めに集めて、羽澄さんにご報告しますね!」
「あぁ、そんな気張らんで良いからな。たまにで十分だ」
「はい、たまにですね。ぜひともお任せください!」
篠束はそう告げると、にこやかな笑みを残して立ち去っていった。
羽澄にすれば、嵐を見送る心地である。妙に疲れた。そんな感想を抱きつつ、口の中をカフェオレで潤した。やはり甘く、小さくむせてしまった。
それからというものの、羽澄の日々は華やかさを増した。来る日も来る日も、頻繁に篠束が訪れるようになったからだ。
「羽澄さん、午後の降水確率は30%で、急な夕立にご注意ください。傘を借りる事は出来ますが、無料は手持ちの方です。折りたたみは有料なのでご注意を!」
内容は些細も些細。雑談レベルのものばかりである。
「羽澄さん。最近は人工湖でデートするのが流行りだそうです。紅葉のピークはしばらく先ですが」
有益なものは少ない。初回に聞いたニコリだけが、まともな情報だと言えた。
それでも羽澄は受け入れた。確かに篠束は騒がしく、自然と輪る目立ちしてしまう。だが悪意は感じられない。羽澄と交わした約束を、やや過剰気味に守り抜いているだけなのだ。
「羽澄さーーん! またまた耳寄りな情報をお持ちしましたーー!」
しかし、所構わず叫ぶのは恥ずかしい。必然的に視線を浴びるし、揶揄らしき空気に包まれるのも辛かった。
そんな日々が数日経った頃。何も状況が変わらないことに、業を煮やした羽澄は、1つの決断を下した。
「本人に直接聞いてみるか。事件の話を」
被害者に尋ねる事は、配慮に欠けた振る舞いだった。ましてや事件から数日しか経っていないのだ。心の傷は癒えていないだろう。
しかし化物や異変について、何ら把握できいない。今となっては、まともな情報源は篠束くらいのものだった。
「篠束も良い顔はしないだろうが、オレなら許されるだろ。情報提供がお礼なんだから」
羽澄は、そう自分に言い聞かせた。もしこれをキッカケに、気不味い間柄となり、縁が途切れても仕方ないと割り切った。
そもそもが他人同士。元に戻るだけの話なのだ。
「羽澄さん、本日の天気は快晴。絶好の行楽日和ですよ。オススメスポットは――」
この日も、いつものように篠束が駆け寄ってくる。そうしてささやかな『報酬』を告げようとするのを、羽澄は途中で遮った。
「篠束。今日はヒマか? 大事な話がある」
「は、はい! もちろんです。全力でヒマしてます!」
「じゃあ行くか。付いてきてくれ」
「はい、しっかり付いて行きますね!」
篠束が、混じり気の無い笑顔を浮かべては、素直に従った。
羽澄の胸に、刺すような痛みが過ぎる。その痛みは押し返した。そもそも他人だったと、もう一度言い聞かせる事によって。
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