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6、モノクローム
羽澄俊は、篠束結姫と話し合う機会を得た。しかし場所を決めていない。手頃なスペースはないものかと、頭を捻るが、思い当たるものは無かった。
「ちなみに羽澄さん。どこへ向かうんですか?」
「込み入った話だ。人に聞かれたくない。だからラウンジあたりだと厳しいな」
「だとすると、森の遊歩道辺りでしょうか?」
「そこは流石に……」
お前が襲われた付近じゃないか。そう言いかけた所、篠束が先回りして否定する。
「遊歩道は南の方にもあるんですよ。ほら、船着場に向かう途中、森がたくさん広がってるでしょう?」
「なるほど。じゃあそこにしようか」
ようやく目的地が決まり、早速現地へ向かおうとした。
しかしそこへ邪魔が入る。羽澄に、ではなく篠束に用事があるようだった。
「あっ、結姫ちゃん。良い所に居た! ちょっと手伝ってよ」
「あぇぇ!? 今はちょっとタイミングが!」
「すぐ済むから、へーきへーき!」
颯爽と現れた女子が、強引に篠束を拐っていく。行き先はラウンジで、テーブルに複数種の紙束が乗せられている。
それらの紙を、特定の組み合わせに束ねた上でホッチキス留め。何かのイベントで使うらしく、部数もそれなりに多い。すぐに済む、という量には見えなかった。
実際、羽澄達が解放されたのは、小一時間後だった。
「すみません羽澄さん。お手伝いいただきまして」
「お前が謝ることじゃない。それよりも、あれは奉仕活動ってやつじゃないのか?」
「はい、たぶん。そうだと思います」
「これでオレ達も金が貰えたり?」
「無理ですね。参加手続きをしてないので」
「だったら完全にタダ働きだろ」
「ええ、まぁ。でも喜んで貰えましたから!」
篠束が満足そうに微笑む。羽澄は何か言いたくなるが、本人が良いと言うなら、口を挟む事ではなかった。
「さてと。気を取り直して行くか。南にある遊歩道に」
仕切り直し、といきたかったのだが、またもや邪魔が入る。
「篠束さん。ちょっと教えて欲しい事があるんだけど」
「あの、今は用事がありますんで」
「手間は取らせないから。裏庭までお願いね!」
「のわぁ〜〜。羽澄さん、ごめんなさい〜〜!」
またもや篠束が連れ去られていく。羽澄は頭痛を覚えた気分にさせられて、大きな溜息を漏らした。
それから裏庭に足を運ぶと、篠束達の姿を見つけた。花壇の傍で、肥料の袋を片手に語り合っている。
「ふんふん、なるほど。そういう使い方ね!」
「アハハ。使用法は、マニュアルに書いてあったと思うんですけど……」
「いやさ、ほら。アタシって説明書読まない派だから!」
「流石に肥料とかは気をつけた方が良いかも。植物の命が関わってくる事ですし」
「オッケー。次からね、次から!」
そこで篠束は解放された。自由の身である。
ようやく本筋に入れるか、と思うが、結果は異なる。次から次へ人を変えて、篠束に厄介事が持ち込まれるのだ。
「篠束さん。イベントの企画についてだけど」
「結姫ちゃん聞いてよ〜〜。この前相談した話だけどさぁ〜〜」
「篠束、ちょっと200N貸してくんない? あとで倍にして返すから!」
篠束は、目を白黒させつつも、どうにか応対しようとした。
状況にしびれを切らしたのは羽澄だ。押しかける女子を無視して、篠束の身柄を拐った。肩に担ぎ上げての全力疾走だ。
「あっ、こら! 篠束置いてけーー!」
背中に投げつけられた罵声なら気にしない。さながら嫁泥棒、スタイルからして米泥棒のごとく、駆けに駆け続けた。
そうして遂に彼らは辿り着く。森の遊歩道、人目に晒されない場所へ。
「この辺りで良いか」
羽澄は、横倒しになった木の幹に腰を降ろした。篠束もそれに倣う。ただし、妙にぎこちなく、動きは固い。
「こ、こ、ここなら、滅多に人も来なさそうですね」
篠束は緊張を隠さない。羽澄も気持ちとしては同じだ。これから切り込んだ質問をする。必要な事とは言えど、少なからず良心が痛んだ。
「邪魔が入らない内に始めよう。じゃあ早速だが」
「は、はい! いつでも大丈夫です!」
「重たい話になる。覚悟しておいてくれ」
「おっ、お気遣いなく!」
「それじゃあ、この前の事件について教えて欲しい」
「……ホぇ?」
「だから、森で事件に遭ったろ。経緯とか、詳しく知りたい」
「あっ、なぁんだ。話ってそっちの方ですか。てっにり私は――」
「てっきり、何だ?」
「えっと、それは、何と言いますか……。男女は仲睦まじくあれと言いますか、睦み合って育まれるモノもあると言いますか、その……」
篠束の顔が耳まで赤くなる。怪我の治りきった頬すらも真っ赤だ。
ここで羽澄はようやく気づく。何か巨大な勘違いをさせたのだと。
「すげぇ誤解されてるっぽいが……主旨は理解したよな?」
「いやぁ、アッハッハ。無駄に舞い上がった自分が恥ずかしいです。はい」
「じゃあ改めて聞く。あの事件についてだが、どうしてあんな事に?」
問いかけると、篠束の肩が静かに震えだす。そして身を縮めては、小さな呻きを繰り返した。
彼女の魂を覆うのは恐怖。事件の記憶をまさぐる程に犯人の姿も、そして恐ろしさも、まざまざと蘇るのだ。
それでも篠束は応じてくれた。少しずつ、糸を手繰り寄せるような口ぶりで。
「あの日、あそこに呼び出されたんです。友達から」
「辺鄙な場所だ。周りにはロクな施設も無いが?」
「早めの紅葉狩りしたいって話でした。でも、待ち合わせ場所に行っても、誰も居なくて。だからしばらく1人で待ってたんです」
「もしかして、そのタイミングで」
篠束は頷いた。
重たい静寂が辺りを包む。羽澄は、それを追い払うかのように、鼻から息を大きく吐き出した。
「暴漢は知り合いか?」
「いえ、見覚えは無いです。少なくとも、喋った事はありません」
「じゃあ何か理由があって、友達とは行き会えなかった。そこを運悪く、通りすがりの男に襲われたって事か?」
「たぶん、そうかなって……」
「なるほどな」
「実は、それほど珍しくないそうです。これまでに何度か、女の子が襲われる騒ぎが起きたって聞いたことがあります」
「所員どもは動いたのか?」
「知り合いにも被害者が居るんですけど。相手にもしてもらえなかったと、怒ってました」
「マジで仕事しないなアイツら。マネキンに差し替えた方が、コストかからないだけ優秀だろうよ」
「良くない噂は聞いていたので、1人きりで待つのは怖かったんです。案の定、狙われてしまいました」
つまりは、不運が重なった結果である。友人から待ちぼうけを食らい、折り悪く暴漢に目をつけられた。
あり得る話ではあるが、どこか腑に落ちない。羽澄は1人考え込んでしまう。
「あの、もしかして、事件を調査されてますか?」
「まぁな。目的は他にもあるが。あのモノクロの世界とか、解明したい事は多い」
「モノクロって、何のことです?」
「覚えてないのか? オレが暴漢と闘ったとき、こう、あちこちが白黒になったじゃないか」
「ええと、すみません。ほとんど記憶になくて。気絶してたのかもしれません。それに起きていたとしても、そんな光景を見られたか自信ないです」
「あの日に限らず、一度も見た経験は無いんだな?」
「はい、ありません。人から聞いたことさえも」
「そうか。まぁ、当然だよな。今のは忘れてくれ」
世の中には、知らない方が良い事もある。あんな化物が、生活圏内に実在すると知ったなら、凄まじい恐怖に苛まれるだろう。わざわざ篠束に説明する必要は無かった。
羽澄がこうして、危険があると知りつつ追求が出来るのは、剣のお陰である。対抗する力があると分かっているだけで、心の有り様は変わるものだ。
「羽澄さんが調査してくださる事は、素直に嬉しいです。でも、それは無駄骨になると思います」
「何か知ってるのか?」
「犯人は、もう共成所に居ないそうです。事件の翌日か、翌々日には島を出たとか。遠く離れてしまっては、調べる事も限界があるかなって」
「じゃあ、あれはやっぱり……」
羽澄の脳裏を過ぎるのは伊藤との一件だ。栄転者の荷物を整理していた彼は、それを羽澄の前でバラ撒いてしまう。羽澄が拾い集めてやると、破損したモバイルバンドを発見する。しかし、唯一とも言える証拠品は速やかに回収され、今はどこにあるかも分からない。
「もしかして、と思ったが。まさか本当に当たるとは……」
「どうかしました?」
「いや独り言だ。ところで、その栄転者ってのは何だ?」
「本土で身元引受けをしてもらえた人達です。審査とか面接とか色々あって、合格した人だけが島から出られるんですよ。全国模試で成績が優秀だったり、国家資格を取れたり、あとはスポーツが上手だったりすると有利らしいです」
「ということは、あの暴漢も優秀なお方って事になるぞ」
「そうなんでしょうね。ただ、詳しい経緯までは、寝谷(ネタニ)さんも教えてくれませんでした」
「寝谷って誰だ?」
「同じ部屋の友達です。彼女は顔が広いので、色々調べてくれました。犯人なら島には居ないから、安心して良いと」
「それだけ聞かされても、納得出来ないんだが」
「はい。私も気になったので、尋ねてはみたんですけど、早く忘れろと言われるだけでした」
「そうか。分かった」
羽澄は、篠束に向けた視線を空へ移した。
暴漢はもはや手の届かない場所にいる。調べるだけ無駄だろうと思う。だが今度は寝谷という女が気になった。暴漢の詳細を隠す事に、微かな違和感を覚えてしまう。
友達想いなだけか、それとも――。
「悪かったよ篠束。辛い事を思い出させてしまって」
「いえいえ、とんでもない! お役に立てなかったようで、すみません」
「そこそこ有益な話を聞けたと思う。ともかく戻ろうか」
帰路の道は、どこか口数が少なかった。会話も途切れがちだ。羽澄にとっても静寂が重たく感じられたが、かけるべき言葉は浮かばない。
そのうち、男女の寮へと続く分かれ道に辿り着いた。羽澄は岐路に立つなり、別れを告げようとした。
しかし1つだけ気がかりになり、足が止まる。お節介かもしれないと懸念を抱きつつも、結局は口走った。
「そう言えば、お前はやたら面倒事を頼まれるよな。あれはいつもの事か?」
「はい。だいたい毎日」
「少し過剰すぎだろ。まるで奴隷とか、下僕みたいな扱いじゃないか。たまには断った方が良いぞ」
「アハハ。皆の役に立ててるから、良いかなって」
「程度による話だろ。お前はもう少し、自分を大事にした方が良いと思う」
「それは、その……」
その時だ。羽澄の眼前で、驚愕の光景が押し寄せてきた。
まず、頬に打ち付ける風が吹く。続けて眼前から色彩が消え失せ、それが四方八方にまで伝染していったのだ。
「何だと!? また色が!」
咄嗟に周囲を見渡した。化物の姿は無い。手元に剣も無い。
だが辺りはモノクロームの世界だ。視界の方々に見える通行人達も、硬直している。まるで、白黒映画のフィルムを止めたかのように。
それは篠束も同様だった。物憂げな顔のままで、瞬きすらしない。サイドテールの毛束も、重力という絶対的な法則に逆らい、しなったままで宙に浮いている。
「おい、篠束! しっかりしろ!」
篠束の肩を揺さぶったのだが、それでも不自然なまでに反応がない。表情も、姿勢も、毛先までも硬直した状態だ。彫刻かと疑いたくなるほど、微動だにしないのだ。
それは周囲の人間も同様だ。あらゆる動作を止めている。人によっては、踏み出した足を地面に着地させる直前で、静止していた。意図的に保てる姿勢とは思えない。
「皆は動けないのか。だったらオレだけどうして……!?」
羽澄だけは別だ。モノクロの世界から切り離されたかのように、色素を保てている事に気づく。そこに安堵や喜びなど無い。ただひたすら、不条理さに頭を抱えるだけだ。
そして、一切の音も消えた事に気づく。雑多な喧騒はもちろん、虫や鳥の鳴く声すら聴こえない。ただ唯一、自分の喚き騒ぐ音だけが耳に響く有様だ。
「一体、何なんだ。これは……!」
唖然として佇むうち、世界は唐突に色彩を取り戻す。そして時間も、ゆっくりと流れ始めた。
羽澄の眼前には、篠束が浮かべる力ない笑みが見えた。
「はい。皆には、近いうちに話してみますね」
「あ、いや、待って……」
「それではこの辺で失礼します。また後ほど」
篠束は柔和に頭を下げると、女子寮の方へと歩いていった。去り際に不審な点はない。1人の少女が、サイドテールの髪を揺らしながら歩く背中でしかなかった。
その平凡すぎる後ろ姿は、先程の異変と全く馴染まず、一層の不自然さを際立てるようだった。
「篠束……」
遠ざかる背中を呼び止めようか、迷う。結局は何も告げぬまま、道の上で独りきり佇んだ。
キリギリスが固い声で鳴き、トンボが悠々と飛び回る。共成者達も、談笑を重ねながら、今という時間を満喫していた。麗らかな秋の午後としか言いようのない、穏やかな光景である。
それでも羽澄は、不吉な違和感を払拭できずにいた。もはや、見せかけの平穏では飲み込めないほど、胸には大きな物がつかえていた。
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