9 異界の風

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9 異界の風

 緒野寺はマイペースな態度を崩さない。立ち尽くす羽澄をよそに、彼女は大金槌を巧みに操ってみせた。  回転に合わせて蒼い炎が、揺らめいては燃えあがる。炎は鎚の先端にのみ宿り、持ち手は熱くないらしい。緒野寺の顔色は実に涼しげだった。  「重たそうなのに、軽々と振り回すんだな」 「この鎚は見た目に反して、至極扱い易いよ。もっとも、私は弓や鞭などを好むがね。この無骨すぎる得物は、淑女に不釣り合いだ。そう思わないかい?」 「どうだって良い」 「無愛想な……。少しは洒脱というものを解(かい)したまえよ。社会生活で苦労させられるぞ」  緒野寺が、空いた方の手を差し伸べた。そろそろ座れ、という合図だ。  羽澄に断る理由もなく、ひとまず腰を降ろす。その時、さり気なく右手のタトゥーを見るのだが、取り立てて反応は無かった。 「どうした。君は得物を見せないのかい?」 「全然ダメだ。そっちみたいに出てこない」  世界がモノクロームに包まれているにも関わらず、羽澄は丸腰のままだ。剣の出現条件は、この異変だと予想していたが、見事に外れた形である。  羽澄が苦々しく手の甲を眺めるのを、緒野寺は興味深そうに笑う。 「ふむ、君はまだ慣れていないのだったね。『異界化』した状況下で得物が現れない理由は、単純明快さ。生命の危機に瀕していないからだよ」 「生命の危機……?」 「もっとも、手段は他にもある。訓練次第では、自分の意志で呼び出すことも可能だ。私のようにね」 「どうやるんだ。教えてくれ」 「そこに在(あ)って当然、と信じ切ること。君は意識せずとも肺を伸縮させて呼吸をするし、物を手に取る時、いちいち指の動きに悩まない。そういう事さ」 「信じる事……か」  羽澄は瞳を伏せて押し黙った。そして掌に意識を集中させる。剣の手触り、刀身の美しさ、形状。それらを精密に思い出そうとする。しかし、記憶はどこか曖昧だった。  これまで見かけたのは2度のみ。いずれも死闘の局面であり、剣を細部まで眺める余裕など無い。それに、戦いが終われば用済みとばかりに、影も形もなく消えてしまうのだ。  姿形は、おぼろげにしか浮かばない。ならば気迫を存分に込めて、気力の後押しで出現させてみよう。  羽澄が最終的にすがったのは、根性論の亜種である。 「いでよ、龍鳴剣ッ!」  静寂、静謐、サイレンス。一切の変化なく、身じろぎもない。そんな羽澄の視界で小さなホコリが、フワリ、フワリと落ちていく。 「どうした羽澄君。勢いで成功させようとしたらしいが……」 「やめろ! オレだって後悔してる!」 「剣の真名を叫ぶ事は悪くない案だがね。それも技術が伴ってこそさ。さもなくば今のように、むず痒い青臭さが残るだけだね」 「だから、オレが悪かったよ!」 「ともかく、出ないものは仕方ない。そのうち感覚が掴めるだろうさ。敵と交戦を続けることによってね」 「土壇場じゃ困るんだがな……。剣が最初から出てくれたら、だいぶ楽なのに」 「いずれ、嫌という程に振り回す日がやってくるさ」  羽澄の右手に緒野寺の視線が絡みつく。どこか含みがあるようで、微かな寒気を伴った。 「羽澄君の紋章は炎、与えられし得物は両手剣だったな。羨ましいね、戦場の華だ。斬り付けると同時に業火の炎で焼き尽くす様は、中々どうして。見応え十分だったよ」 「まるで、目の前で見たかのような言い草だが……」 「実際に見ていたとも」 「いつ、どこで!?」 「船着場だよ。あの晩、たまたま通りかかってね。異界化を察知したから様子を探っていたんだ。ちょうど君が、剣で倒した瞬間だったよ」 「気づかなかった。声を掛けてくれればよかったのに」 「話しかけたさ。だが君は心ここに在らずといった様子で、フラフラと立ち去ってしまった。まぁ、面識のない私が、闇夜で突然話しかけるというのもね」 「確かに。オレは一目散に逃げたと思う」 「だがね、やはりあの晩、強引にでも引き止めるべきだと思ったよ。君は大人しくするどころか、問題に対してドンドン首を突っ込んでいった。一言でも忠告しておけば違ったのだろうね」  羽澄には、思い当たるフシしかない。森で篠束を助け、暴漢の素性を探り、寝谷の身辺も調べ上げようとした。  危険である認識はなかった。それでも緒野寺の顔が、違うと告げていた。 「君はすっかり有名人。敵からは確実に認知されているよ。2度の戦闘を生還。しかもオーク相手には果敢に闘ってくれたからね」 「オークってのは、豚の化物だよな?」 「奴はそれなりのマギカを持つ強敵だったのだが、君はアッサリと撃退してしまった。あの胆力や判断力は頼もしくも有り、同時に危なっかしくもあった」 「無我夢中だったんだよ」 「あの日以降も大人しくはしてなかったろう? 何やら探偵の真似事を始めたじゃないか。あれには冷や汗をかかされたものさ。敵に誘き出されて集中攻撃、という結末だって有り得た。」 「だけど、あんな奴を野放しに出来ないだろ。もっとも犯人は、栄転者として島を出たらしいが」 「そこまで掴めているのか。君はなかなか優秀らしい」 「あんな外道を本土に送り出すとか、お前ら管理者は本当に見る目が無い。向こうでも、絶対に凶悪犯罪を繰り返すはず――」 「彼なら殺されたよ、事件を起こした夜にね」 「ハァ!?」  羽澄は最初、理解が出来なかった。二の句が告げずに呆けてしまう。  しかし緒野寺は平然とした口調で重ねた。篠束を襲った男は、すでに抹殺された後であると。 「内部文書による報告を盗み見たんだ。頭から食ってマギカを回収したという、何ともおぞましい内容だった」 「いや、島を出たって聞いたぞ。荷物も知り合いに整理させて……」 「そういうテイにしなければ大騒ぎになるだろう? 一般の共成者には事実を隠さなくてはならない。ここが平穏であると信じてもらう必要があるんだ」 「そんな簡単に、人の生き死にが……?」 「奴らには奴らのルールがある、という事だろうね。我々人類とは倫理観が異なるのさ」  羽澄は、信じられない想いで唖然とさせられた。  だが緒野寺は、そんな彼を見ても口を閉じない。話は終わっていないのだ。 「羽澄君。何はともあれ、もう少し大人しくしたまえ。君は勇敢過ぎるように思える」 「奴らは何なんだ、何が目的だよ?」 「有り体に言えば、悪魔的な存在かな。そして連中のお目当ては『マギカ素体』と呼ばれるエネルギーさ。ちなみにマギカとは、我々でいう生命力や魂に相当するもの、と見做して良い」 「大人しくしろって事は、他にもイービルが潜んでるんだな?」 「狡猾な奴らだよ。どこの誰が人間に擬態しているか、そして何匹紛れ込んでいるのか等、一切が不明。こちらから正体を暴く手段が、全くもって確立されていないのでね」 「面倒臭い。いっそのこと、所構わず暴れ回ってくれたら分かりやすいのに……」 「連中が、自ら正体を晒す時を待つしか無いね。基本的には異界を展開し、マギカを食らおうとする時だろう」 「どうして連中は、片っ端からマギカを食わないんだ? 異界では大体の人間は動けない。格好の餌食だろうが」 「君だって生肉には火を通すし、バナナの皮は剥いて食べるだろう。連中にとっても、一定のプロセスを踏む必要があるらしい」 「そのプロセスってのは?」 「対象者を、絶望させる。あるいは恐怖の虜にする。他にもあるかもしれないが、その2点は確実に思えるよ」  羽澄には強く響くものがあった。実体験と紐づくものを感じたからだ。  島へ来た初日、彼自身も我を失い、崖から飛び降りた。幻聴に追いたてられた結果だ。あの時は、無性に恐ろしく、そして強い焦燥感を抱いていた。  あれも攻撃に晒されたせいか。羽澄は更に問いかけようとするが。 「なぁ、オレも思い当たるフシが――」    言いかけた所、緒野寺の掌が突き出される。黙れと言わんばかりに。  それから緒野寺は、もう片方の手を額にやった。そして、指先で目頭を摘んでほぐす。初めて見せた苦悶の表情である。 「済まないが、ここいらで密談も終わりだ。異界化の維持も、そろそろ限界らしい」 「そういえば、ここの異界はアンタが作ったんだよな? それでマギカを消費してると?」 「その通り。小規模とは言え、長時間展開するのは、中々に骨だな」 「だったら悪いことをした。でも、お陰で分かった事も多い」 「気にするな。お近づきの印とでも思えばいいさ。それに、この程度なら昼寝でもすれば回復するよ」 「何にせよ感謝はする」 「では世界を元に戻そう。ここからは、他の者達にも会話が聞かれてしまう。発言には気をつけるように」  緒野寺は大きく息をつくと、座ったままでうつ向いた。  すると視界の端から、色彩が戻りだす。くすんだコンクリート壁も、赤錆びたパイプ椅子でさえも、どこか懐かしい。 「さてと。では羽澄君、お話と行こうじゃあないか」  緒野寺は、白々しくも初対面を装った。  羽澄は虚を突かれた思いだが、出入り口の所員を見て気づく。周囲の人間には、異界での出来事は認識されないのだろうと。ある意味では、時間が消し飛んだようなものだ。  実際、所員達は何も驚かず、緒野寺の言葉を聞き流していた。 「さぁてと。君が罪に問われている件についてだが……」  緒野寺はタブレット片手に手早く操作する。そこで、何か大げさに驚いては叫び声をあげた。 「おやおやぁ? これは、どうした事かな」  緒野寺が身体を捻って振り向いた。視線は背後の所員に注がれる。 「監視カメラの解析が済んでいるねぇ。しかも、被害者による狂言であると結論づけている。これでは彼を拘束する理由が無いじゃあないか」  緒野寺の発言は、嘘ではなかった。  現場最寄りの監視カメラでは、事件の全貌を映してはいなかった。カメラ角度が絶妙だった為、寝谷が転んで叫ぶシーンだけが録画されている。  しかし、別エリアの監視カメラが、羽澄達の姿を捉えていた。距離こそあるものの、羽澄は指1本触れていない様子の一部始終が映されていた。  その結果、罪なしという報告に至る。 「おかしいねぇ。罪なき者を拘束するのは、自由の精神に反するのでは?」 「私どもには、まだ指示が来ておりません」 「では速やかに確認を取りたまえ。恐らく釈放の許可が降りることだろう」 「それは……」  緒野寺の言葉に対し、反応は鈍い。2人の護衛達は言葉を詰まらせ、その場に立ち尽くすばかりだ。 「どうした。君たちの仕事ではないのか?」 「警備主任は、その、忙しくされてます。なかなか捕まらないかと」 「そうかね。では私の口から直接伝える事にしよう。ええと、主任の連絡先は……」 「い、いえ! 副所長のお手を煩わせる訳には!」  慌てて見張りの2人が走り出した。今なら脱走も難しくは無さそうだ。  しかし、緒野寺は腰を降ろしたまま、肩を竦めておどけるばかりだ。 「どうあっても君を離したくないらしい。人気者だね」 「オレは殺されかけたんだぞ」 「知っている。かなり危険な状況だったが、君の機転は素晴らしかった」  どうして知っている、と尋ねようとして止めた。天井には今も監視カメラがブラ下がっている。緒野寺には、データを閲覧できる権限があるのだ。  そのうち、所員の1人が駆け戻ってくる。そして息を切らしたままで告げた。 「おまたせしました、羽澄俊を解放せよとの指示が!」  「ふむふむ。ご苦労だった」  緒野寺は徐ろに立ち上がると、所員の方へと歩み寄った。1歩また1歩と、足音を刻みつけるように。  所員は僅かに後ずさったのみで、動けなくなる。緒野寺の眼光に凍りついたのだ。 「ま、まだ何か、ご用でしょうか?」 「もう少し、己を律したまえよ。我欲に溺れると、いずれ取り返しのつかない事になる」 「わ、私は、取り決め通りにやっております!」 「君達のような小悪党を、今すぐ処分する予定はない。その暇もない。だが今後も目に余るようなら、厳しい沙汰を覚悟してもらう。行って良し」 「ハハッ!」  所員は最敬礼を見せると、逃げるようにして部屋を後にした。そして通路からも、人の気配が遠ざかっていく。 「さて、聞こえたね。君は無罪放免だ。おめでとう」 「もしかして、アイツもイービル?」 「これまでの態度を見るに、違うかな。ごく普通の、汚職に手を染めた所員だと睨んでいる」 「汚職って、腐りまくってんな……」 「人は弱い生き物だからね。悪事の誘惑というのは、なかなかに強烈なのだよ」  ここで緒野寺は、アイマスクを手渡してきた。理解できない羽澄は、その場で凝視するばかり。間もなく、装着しろとせっつかれてしまう。 「君は晴れて釈放されるのだが、懲罰房の場所は秘密厳守なんだ。悪く思わないでくれたまえ」 「まさか目隠ししろと? どうやって帰れというんだ」 「私が事細かに誘導するさ」    どうやら装着しなくては話が進まないようだ。羽澄がアイマスクに視線を注ぐ間も、更に強く押し出されてくる。  溜息を吐き散らし、それを毟り取ると、自身の顔に装着した。 「うんうん、割と従順だ。話が早くて助かるよ」 「おい、これ全然見えないんだが」 「承知しているよ。さぁ手を取りたまえ、私がエスコートしてあげよう」  羽澄が徐ろに右手を差し出すと、もう片方もと要求される。  言われるがままにすると、指先が暖かなものに触れ、包まれた。そして、確かな力で握り返される。 「よろしい、では行くぞ」 「いや歩けるかよ! 本気の目隠しだろコレ!」 「掛け声に合わせたまえ。さぁ右足から1、2。1、2」 「絶対バカにしてるだろ!!」  こうして2人は、悠々と懲罰房から出た。名実ともに自由の身だ。一時は生命の危険に脅かされたものの、結局は半日程度の拘束で済んだ。  すなわち、羽澄の完全勝利と言える。緒野寺に連れられてのヨチヨチ歩きという、見栄えの悪さに目を瞑れば。
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