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「あ、今日もあの子、浩のこと見てるな」  医学部の友人、白井孝弘(しらいたかひろ)が、みそ汁の椀を置きながら言った。 「へー。そう」  興味のないオレは、オムレツを口に運ぶ。 「おいおい、せめて一瞥くらいくれてやれよ。あの子、心理学科の都枡松子(とますまつこ)ちゃんだぞ。一見地味だけど美人で有名な子だぜ? 前に映研の奴らがヒロイン役にスカウトしてるのを見たことがある」 「ふーん。孝弘のこと見てたんじゃないの? モテるからね孝弘は」 「モテるからこそわかるね。あの子は俺じゃなくて浩を見てる」 「物好きな人もいるもんだね」 「ほら見ろよ、あの艶やかな長い黒髪に、透き通るような白い肌、メガネでも隠しきれない宝石のような大きな瞳。いつもゆったりした服を着てるからわかりにくいが、ありゃ相当スタイルもいいな。そりゃ映研の奴らがほっとかないのもわかるぜ」 「眼の付け所と、詳細な描写が気持ち悪い」 「素っ気ないねえ。もっと青春を楽しもうぜ」 「青春を楽しむ。例えば?」 「そりゃ異性交遊だろ。純粋異性交友。合コンとか合コンとか合コンとか。明日の夜あるんだけど、どうだ? たまにはハメを外そうぜ」 「行かな……」 「まあ聞け、メンツを聞いたら気が変わるぞ?」  孝弘はオレの言葉にかぶせるように言った。うんざりした態度を全面に出してみたが、奴は構わず話し続ける。図太い神経を持つ男だ。 「なんと、美人どころの看護学生。ナースだぞ。ナース」 「一人で行きなよ。オレは忙しい」 「まあーた害虫駆除かよ。せっかくこの前の怪我もよくなってきたってのに」  孝弘はオレの頬に貼られたガーゼを無遠慮に剥がすと、指先で傷を撫でてくる。拒否すると後が面倒だから、オレはされるがまま撫でられ続ける。 「打撲痕だいぶキレイになったな」 「主治医の腕がいいからね」  そう言いながら孝弘の手を払い除ける。さすがに我慢の限界だった。オレは人に触れられるのが苦手だった。孝弘は一瞬不満げな顔をするが、そんなものは無視した。 「まったく、あんま無茶すんなよ。お前弱いんだから」  腕がいいと言われて嬉しいのか、まんざらでもない様子で孝弘は苦笑する。こいつは頭がいいわりに、素直で感情がわかりやすい。だけど、そんなところがわりと気に入っている。こいつと話しているときだけは、少しだけ気持ちが安らいで、普通の大学生になれている気がする。 「一応鍛えているんだけどな」 「にしても細すぎだ。まずもっと食え。今日もオムレツとミニサラダだけしか食ってねえじゃねえか。しかもケチャップでネコの絵描いてるし。いつもやるよなそれ」 「タンパク質は筋肉に良いんだよ。それに、ネコはかわいいじゃん」 「知ってるよそんなことは。ネコだってかわいい。オレが言いたいのは、量を、適正に、食えってことだ。そんな地獄から火を貰いに来たようなナリだと、いつか害虫から返り討ちにあうぞって言ってんだよ」 「そのときはまた孝弘に治療してもらうよ」 「治療はするが、バカにつける薬はねえからな」 「肝に銘じておくよ。でも、前にも言ったけど、別にオレのやることに付き合わなくていいんだよ?」 「バカ言え、やめねえよ。臨床経験は多いに越したことはないんだよ。将来のために少しでも周りと差をつけておきたい。正攻法なんて知ったことかよ」  孝弘はふんぞり返ると、鼻息荒く言った。 「神をも恐れぬその向上心には感服するよ。てゆうか孝弘さ、もしかしてオレのこと、都合のいい実験体かなにかと思ってない?」 「俺は臨床経験を積めて将来に役立てる。お前は怪我をしてもタダで治してもらえるし、害虫駆除も続けられる。持ちつ持たれつだろ?」  孝弘は悪びれる様子もなく言った。確かにオレのやってることは紛れもない犯罪行為だ。大きな怪我をした場合、通常の医者にかかると、していることがバレて、逮捕される危険もある。孝弘だってただの医学部の学生だ。医師免許のない医療行為は法律で禁止されている。持ちつ持たれつ、その通りだ。利害は完全に一致している。怪我をしていればそれだけで目立つし、変に勘繰られる。現に前回の害虫駆除で負った頬の怪我も、傷も残らず治してもらった。  気づくとオレの手は無意識に頬を触っていた。 「頼りにしてるよ。ブラックジャック先生」 「お任せあれバットマンさん。それで、次の害虫駆除はいつなんだ?」 「明日の夜だ。もうあいつの生活パターンは把握した。今日は最終チェックだけ」 「なら、合コンはキャンセルだな。まったく、この働き者が。せっかくのナースとの出会いを邪魔しやがって。腹でも刺されてきやがれ」  皮肉を言いつつも、孝弘はどこか嬉しそうな顔で笑った。マッドドクターめ。 「ナースなら、医者になった後に、いくらでも会えるでしょ」 「まあな。ならば、刹那に過ぎるこの時間こそを謳歌するとするか。まさに青春ってやつだな」 「ずいぶん血生臭い青春だね。ところで、あの薬ある?」 「は? もう切れたのかよ。この前渡したばっかりだろ。ちょっとペース早過ぎねえか」 「容量はわきまえてるよ。で、あるの?」 「ちっ。あるよ。ほら」  孝弘は舌打ちをして心配そうな表情をのぞかせながらも、白い錠剤が入った小さなジップロックを二袋、テーブルの下から差し出す。オレは辺りを確認してから、素早くそれを受け取った。その光景はさながら違法薬物の取引だった。まあ、おおむね間違ってはいないのだが。 「いつも悪いね」 「禁断症状になった時の薬も一緒だ。ったくジャンキーが。あまりやりすぎるなよ」 「わかってるよ。廃人になったら害虫駆除もできないからね」  そう言いながらオレはジップロックをポケットの中に押し込む。 「ところで最近、この辺りで行方不明者が増えてるっていう噂があるんだが、それもお前の仕業か?」 「いや、知らないな」   全く身に覚えのないオレは孝弘の話に耳を傾けつつ、食べ終わった食器を、トレーの上で重ねる。今日も味のしない食事だった。食べ物の味がしなくなったのはいつからだったか。その時のことを思い出そうとするが、頭と心が拒否反応を示し、頭痛がしてくる。オレは不愉快なものを追い出そうと乱暴に頭を搔きむしった。 「そうだよなあ。お前が駆除するのは特定の奴だけだもんな。ちょっと調べてみたんだが、行方不明になってる人たちはお前の駆除対象に当てはまる奴じゃねえみたいだったし」  そう、オレは害虫しか駆除しない。誰かれ構わず殺していたら、それこそ殺人に楽しみや快感を感じている頭の狂ったサイコパスの所業だ。オレは違う。オレは殺しに楽しみなんて見出してなんかいない。 「さ、そろそろ行こうぜ」  食器を乗せたトレーを持ち上げ、オレたちは学内へと戻っていく。  オレは歩きながら明日の予定を考える。どのような手段を以てヤツを殺してやろうか。どうすれば、最大限の苦痛を与えられるか、どうすれば犯した罪を心から後悔するのか。  殺してやる。殺してやる。殺してやる。ぶっ殺してやる。  無意識にそう考えてることを自覚したとき、ああ、自分はもう取り返しのつかない病気なんだなと思い、心の中で苦笑する。ポケットの上から孝弘から貰ったモルヒネを握り締める。  古代ローマの詩人、ホラティウスは 「諷刺詩」の中でこう語っている。  怒りは一時の狂気なり。汝が怒りを制さざれば、怒りが汝を制せん。  この言葉に倣えば、オレは常に復讐心という強い怒りに飲み込まれている。身を滅ぼす危険性があっても止めることはできない。決して止めないと、止めてはいけないと、心に深く刻み込まれている。  オレは害虫駆除という名目で人を殺している。    オレは人殺しだ。
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