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 オレは人目につかぬように木澤のアパートを出たあと、負った怪我の治療の為に、その足で孝弘のアパートへと向かった。 「今回の怪我はまあまあ軽かったな。見て触った感じでも、骨や内臓に異常はねえみたいだし」  オレの背中に湿布を貼りながら孝弘が言った。 「それよりも、いい加減着るものを貸してくれない? 少し寒いんだけど」  オレは半裸の状態で、腫れた頬に冷却パックを当てながら言った。  アパートに現れたオレに対して孝弘は、顔を大仰にしかめて血生臭いと言い、オレからパンツ以外の服を剥ぎ取ると、それを酸素系漂白剤と共に洗濯機へ、オレをユニットバスへとぶち込んだ。  治療を受けたら礼だけして直ぐに帰ろうと思っていたのに。でも、迷惑をかけている分、あまり強く言うこともできない。オレはしばらくバスルームで立ち尽くしたあと、渋々ながらもシャワーを浴びた。 「今日うちに泊まるって言ったら貸してやるよ」  孝弘が言った。 「嫌だよ。帰るよ」 「じゃあその格好で帰れよ。服は貸さん」 「……わかったよ。泊まるよ」 「よし。じゃあ飲もうぜ」孝弘は嬉しそうに立ち上がると、服とビールを取りに行く。その間にオレは頬に湿布を貼った。  ビールで乾杯した後、スマホをいじっていた孝弘が言った。 「なあ、いつも気になってたんだが、お前どうやって性犯罪者を見つけてるんだ?」 「主にネットの裏サイトとか、SNSとか」 「そんなんで見つかるのかよ? 一度も見かけたことないぞ?」 「あるところにはあるよ。性犯罪の加害者、その家族構成、友人、恋人、はたまた知り合いの名前、年齢、見た目や身体的特徴の情報から、住所遍歴や現在の勤め先、過去に整形しているかどうかまでの情報まで様々だ。一度でも罪を犯したらネットに一生名前と顔が残る時代だからね。人間いつも何処かで誰かに見られてるだろうし、きっと誰だって悪人は裁かれるべきだと感じている。匿名で正義みたいなものを振るえる便利な時代だしね。噂では現役の警察官も投稿してるとかしてないとか。でも、きっとそんなモノ、知らないに越したことはないんだろうけど」 「まあ、歪んだ身勝手な欲望に、理不尽にそれまでの人生を奪われたんだもんな。殺したいほど憎む人もいるだろうし、その気持ちもわからなくもない」 「どんなに憎み、悲しんでも、どうすることもできない人は沢山いる」  ビール缶が固い音をたてて少し潰れる。オレは無意識に手に力を込めていた。 「だから、お前がやるのか? たとえ被害者が復讐を望んでいなかったとしても」  孝弘が言う。  オレは肯定の意味を込めて、黙ってビールをあおった。  そうだ。それが自分勝手なことだというのはわかっている。被害者が望んでいようがいまいが関係ない。オレに必要なのは駆除をする理由だけだ。誰にも共感されなくてもいい。してほしくもない。 「なあ、浩」  しばらく無言だった孝弘が、ためらいがちに口を開く。 「おまえ、いつまでこんなこと続けるつもりだ?」 「やめたいならやめればいいよ。孝弘はバレたら医者になるどころじゃなくなるしね」 「そういうことを言ってるんじゃねえ。いつまで性犯罪者を殺し続けるつもりなんだって聞いてんだ」  いつまで。  その言葉を聞いて、オレの思考は完全に停止してしまう。  やめる。正直そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。 「見ろよこれ」  孝弘がスマホを放って寄越す。木澤が殺されたことがもうニュースになっていた。 「このまま性犯罪者を殺し続けても、あるのは逮捕か、返り討ちにあって、逆に殺される未来だけだ。いい加減どこかで見切りをつけないと、お前いつか破滅するぞ」 「破滅だって? そんなものとっくにしてるよ」  オレは人を殺した。その時点でもう普通の生活には、普通の人間には戻れない。いつかオレだって裁かれる。でも、それは今日じゃない。まだ駄目だ。 「まだ戻れるだろ」  オレの肩に手を置きながら、孝弘は言った。彼の手には力がこもり、少し震えていた。 「もう戻れないよ」  オレは言う。 「まだ戻れるだろ。今すぐ殺しなんかやめて、俺とこうやって夜通し飲んで、合コン行って、年相応な馬鹿なことやっていればいいじゃねえか。それでいいじゃねえか」 「そんなの無理に決まってるだろ。オレは人を殺しているんだよ。なにより倫理を重視する、医者って職業を目指している孝弘にはよくわかるだろ」 「ああ、よくわかってるよ。でも俺は、がばがばで、特定の奴らだけに都合の良い正義や司法制度なんかより、お前の方が大事なんだよ。殺しなんか黙ってりゃいいじゃねえか。俺だって誰にも言わない。誰にもバレなきゃ、なにもしてないのと一緒だ」 「そんなめちゃくちゃな」 「お前が人を殺した事は誰も知らない。だからお前は誰も殺してない。みんな今でも生きているんだ」  もう支離滅裂だった。それもそのはずで、孝弘はいつの間にかビールを五本空けており、相当酔っぱらっていた。でも、その眼には涙が浮かんでいた。  オレはべろべろになっている孝弘を無理矢理ベッドに運ぶ。あいつは最初の方こそ、まだ飲む、夜は長い、と駄々をこねていたが、やがて電池が切れたように眠りについた。 「ありがとう。孝弘」  オレは部屋の電気を落とすと、声に出さずそう呟いた。  午前三時三十分。明かりの消えた真っ暗な部屋。スマホのブルーライトが部屋の輪郭をうっすらと浮かび上がらせる。  オレは性犯罪者たちの情報が書き込まれる裏サイトを眺めていた。そこに表示されている名前は、甘野(あまの)ギスケ。痴漢及び盗撮と窃盗の常習犯だ。  甘野は今まで五回現行犯逮捕されているが、その全てが不起訴になっている。おそらく政治家である親の力だと言われている。裏サイトは、そんな優遇を受ける甘野に対する怒りと悲しみのコメントで溢れかえっていた。死ね。殺してやりたい。という書き込みも相当数にのぼった。  こいつが次の駆除対象だった。獲物は慎重に選ぶ。そして徹底的に調べ上げる。  オレはこっそり孝弘の部屋から抜け出し、夜道を歩きだす。未だ街は深い眠りについていた。時折郵便配達のバイクとすれ違う。  一つ気になることがあった。数か月前から裏サイトに書き込まれている犯罪者たちが次々と行方不明になっている。それも性犯罪者だけではなく、別の犯罪を犯した奴らもだ。この間孝弘が言っていた行方不明事件と関係があるのだろうか。  奇妙な感覚にとらわれる。もしかしたら奴らはオレの駆除活動に感づいて、姿を消しているのかもしれない。少し派手に動きすぎているのか? そこまで考えたところで、はたと気付いた。いや、そもそも犯罪者たちにコミュニティはないはずだ。奴らが繋がって何かをやる理由もメリットも思い当たらない。そもそもそんな不穏な動きがあったら、すぐに裏サイトに書き込まれる。この時代、誰にも見られないで生きていくのは不可能だ。  どうも自分本位でものを考えすぎだ。自分は世界の中心ではない。世界はそんな都合よく出来ていない。自戒を込めてオレは大きく息を吐いた。 「いいお友達だね」  隣にいた姉さんが言った。  そうだね。オレにはもったいないくらいイイ奴だよ。 「ヒロ君がいい子だから、いい人が周りに集まるんだよ」  そうなのかな。  オレは気のない返事をする。 「ところでヒロ君、もう夜中だよ。寝なくて大丈夫なの?」  大丈夫だよ。ちょっと考えたいこともあるし。オレは夜型だからね。  姉さんは「そっか」と言うと、黙ってオレの隣を歩く。  もう何年もまともな睡眠なんてとれていなかった。常に全身を鉛で覆われているような倦怠感にも、もう慣れ過ぎてしまっていた。  甘野ギスケ。二十九歳。無職。痴漢、盗撮、窃盗の常習犯。半年前にこの街に越してきた。現在は親の借りたマンションで一人暮らしをしている。定職についていないが故に生活が不規則で、行動パターンを掴むのに時間がかかった。奴は基本的に家から出ない日が多いが、三十分から一時間程度の散歩をする日が稀にあった。二か月程度奴を見張って、ようやく法則性を見つけることが出来た。 「ねえ、どこ行くの?」 「ちょっと下見をね」  孝弘のアパートから約一時間ほど歩き、オレは目的の場所に到着する。  そこは私立の女子高だった。  この女子高では、数ヶ月前から校内で盗難が相次いで発生していた。窃盗されたものは主に女子生徒の制服や体操服だった。盗難は一か月に一度起きていたが、日付、曜日はバラバラだった。しかし、ここ最近、甘野を尾行していた際、奴は散歩中にこのあたりで奇妙な行動をとっていた。しきりに道路に面した学校の窓を眺めたり、人気のない裏路地を行ったり来たりしていた。オレは奴が窃盗後の逃走ルートをシュミレーションしていると直感した。  更に甘野は過去にも高校に忍び込み、制服を盗んだとして窃盗及び、建造物侵入の容疑で逮捕されている。その事実がオレの直感を裏付けた。  ここ最近の甘野の行動と、犯行の間隔。それに昨日は開校記念日で学校が休みだった事を合わせて考えれば、奴の犯行は今日行われるはずだと予測し、オレは最後の下見にここに訪れた。  オレは奴がうろついていた裏路地に入る。街灯が切れていて、路地は真っ暗だった。犯行が行われるのは部活などで校内から人が少なくなる放課後だった。つまり奴はここに現れる可能性が高い。  甘野が住んでいるのはオートロックのマンションで、忍び込むのは容易ではなかった。だから窃盗後に、この裏路地に現れた所を強襲し、駆除しようとオレは考えた。  甘野は小柄で中肉中背。非力で、自分より弱い存在をターゲットにする姑息な奴だ。この程度の怪我なら反撃されたとしても駆除に影響はないだろうと、オレは身体の節々を念入りに動かす。しっかり処置をしてもらったからか、もう痛みもほどんど感じなかった。 「制服を盗むなんて女の敵だね。そんなやつはとっちめてやろう」  隣で姉さんが憤った様子で言った。オレは無言で頷く。  顔を上げると、いつの間にか空が白み始めていた。  オレは踵を返し歩き出す。途中、早朝開店のパン屋で買い物をし、また一時間かけて孝弘のアパートに戻った。その頃にはもう夜はすっかり明けていた。  頃合いを見て熟睡していた孝弘を起こし、二人で軽い朝食を摂る。オレは一番小さいパンの半分も食べ切れなかった。  オレの服に染み込んだ血は洗濯でも完ぺきには落ち切らず、他のゴミと一緒にまとめて捨てて、孝弘の服を借りた。  今日も怒りと復讐の一日が始まる。  オレたちは時間通りに大学へと向かった。  
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