矍鑠にして花盛り

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矍鑠にして花盛り

「おはよーございまぁす!」    立派な洋館の渡り廊下にて目を疑うような光景が。  なんと燕尾服を着たモモンガが飛んでいた。小さな左足には小枝が括り付けられている。   「ええ、おはようございます。今日も元気ですな」    その上喋る。   「うん、今日も頑張るね!」    このモモンガ、名を飛倉 百知直(とびくら としなお)と言う。見た目にそぐわぬ古風で物々しい名前だが、不思議と馴染む気がしない事もない。  神無月家は多くの半妖の執事とメイドを抱えているが、飛倉もその内の一人。それどころか最古参だ。モモンガの格好だけではなく、優しく穏やかな紳士的な性格からかメイドから一番モテていると言っても過言ではない。マスコット的な愛され方をしているのは否めないが。  飛倉はメイドと別れると、照明を足場にしながら神無月邸を見て回る。屋敷は広いため、維持の為に働く人数が最も多い。その中で困っている者、例えば新人等が居れば補佐をしようと思っているのだが――近頃は皆が業務に慣れてきて、あまり飛倉まで役が回ってこないのだ。後継者は人材育成の点でも優秀すぎる。   「飛倉殿。おはようございます」    金髪をオールバックにした爽やかかつ落ち着きのある青年と出会す。彼は守堂と言い、今の家令を務める男だ。まだ30歳にも満たない若き精鋭だ。   「また見回りを?」 「自己満足ですよ。私だけ何もしないというのは居心地が悪いものでね」    飛倉は守堂の掌に乗っかる。   「それに最近、メイドの皆さんに誘われてアフタヌーンティーに参加ばかりしているので体型が少し……」    腹部に手を添えると、守堂も「ほう」と僅かに目を逸らす。   「守堂さん。お時間少し良いですか?」    若い執事がやって来る。飛倉はもう一度飛び立って守堂にそちらへ行くように促す。それを汲み取った守堂は会釈をすると彼の元へと歩いて行った。  その背を見て、飛倉はある決意を更に固めていた。  退職――もう己の力はこの屋敷に必要無いのではないかと。かつて自分が担っていた物は守堂が受け継いで久しい。  結局、守堂を支える為に一度は残ったが、守堂は現役時代の飛倉よりも立派になった。それなのに若さと伸び代がまだあるのだから末恐ろしい。  明日、守堂に打ち明けよう。  本当の潮時がやって来た。それだけの話だ。 ◆◇ 「出張、ですか」 「はい。明日に発ちます。本来ならば、お嬢様の出席が望ましいのですが」    守堂を呼び出そうと思ったら逆に呼び出され、飛倉は先に彼の話を聞くことになっていた。   「なるほど。明日は丸一日お目覚めにはなりませんからな」    神無月家は不当に扱われる半妖の保護や地位向上の為に活動をする組織という一面を持ち合わせている。主導者は神無月当主の一人娘なのだが、彼女もまた半妖。その血の性質に逆らえず、八日周期で丸一日眠ってしまう。それが明日。  急遽舞い込んだ仕事は果たせない――そんな時に代理で動くのも守堂の役目だった。   「明日、俺の代わりをお願いしたいのです」 「私が? 他に相応しい者が……」 「飛倉殿が言わんとしていることは分かります。ですが、明日は本当に貴方しか居ないのです」 「と、言うのは?」 「他の奴等も屋敷を空けると聞いています」  守堂が出張届を差し出した。名前は守堂に並ぶ神無月の主要メンバーで、誰もが出張は明日からになっている。  彼等が居なければ屋敷で主人を守る者は殆ど居ない。  きっと守堂もそれを懸念しているのだ。  飛倉に断るという選択は元より無かったが、改めて彼は口を開いた。   「よろしい。屋敷は私が預かりましょう。貴方はお嬢様の代理人を立派に務めてきなさい」 ◆◇  翌日。守堂が居なくても、屋敷の雰囲気は大きく変わらない。朝礼中も、業務時間になっても執事もメイドも真面目だった。真っ当な教育が行き届いている証拠である。家令代理になった所で仕事が大きく増える訳でもなかった。  一応、見回りに向かう。  ここで働く者達は若い。  神無月家が掲げる理想に年齢は関係無いが、既にある程度歳を重ねている半妖は良くも悪くも既に自分の居場所を見つけていたりする。飛倉は偶然、神無月当主に興味を持たれたから来ただけのこと。その頃はまだ、神無月家は今のような活動を行ってはいなかった。本当にたまたまだったのだ。  飛倉も長く生きているが、次に年長なのは三十路前後の青年だ。  彼等は苦境を知るからこそ、若くても肉体以上に達観していて賢く、強い。飛倉が何かしてやる必要など無い程に。  そう考えている時だった。一階の玄関から不穏な物音が聞こえてきた。ガシャン、バキ、という無理やり何かを壊したような音が。  飛倉は急いでそちらへ飛んで向かった。 「何事ですか!」  玄関は扉が壊され、近くの窓ガラスや花瓶が割られていた。近くの物陰にメイドが一人怯えて縮こまっている。  メイドは一瞬酷く怯えて固まるが、やって来たのが飛倉だと分かるとわんわんと泣き出した。飛倉と同じ音を聞いて駆けつけた執事達が集まってくる。 「よしよし……怖かったですね。貴女が無事で何よりです」  彼女の膝に乗って涙を拭いながら話を聞き出す。  メイドによると突然見知らぬ男二人がドアや家具を壊しながら乗り込んできた。そして、そのままメイドには気付かず周りの調度品を壊しながら屋敷の奥に進んで行ったという。 「どうしよう……今日はお嬢様が動けないのに、守堂さん達も皆、居ないし……」  執事とメイド達の間に緊張感と不安が走る。 「……暴漢は私が対処します」 「えっその状態でですか」  流石にこれには皆難色を示す。飛倉は執事服を着て喋るという摩訶不思議なモモンガだが、大きさも腕力もこの見た目通りの力しか無いのを彼等は知っている。 「一応ですが秘策はあります。戦いの心得の無い貴方達を危険な目に遭わせるくらいなら、それに賭けたいのです」  誰もそれに言い返せなかった。この中に戦いの経験がある者は誰一人居ないのだ。 「ここの片付けは全て終わってから貴方達に頼みます。それまではまず自分の身の安全を第一に。よろしいですね」  神妙な面持ちの彼等に飛倉は髭を撫でた。 「大丈夫」 ◆◇  暴漢が向かった方向には道標のように廊下が荒らされている。それを滑空して追いかける。通り道にドアが開かれ、犯人達は中を確認しているらしかった。    ――狙いはお嬢様でしょうな。    飛倉の表情が心なしか引き締まる。進んでいくと、男の声が聞こえてきた。 「クソッ! バカみてぇに広いな、ココ。巫女はどこだよ!」  巫女とは守堂達の主――つまり、神無月当主の娘が妖怪達からつけられた渾名だ。彼等がここに押し入ってきた理由は飛倉の予想通りだったらしい。 「そんな急がなくても良い。戦闘向きの奴等は囮に引っ掛かってたり、ガキは人間の真似事して学校行ってる。ここに残ってる奴等じゃどうも出来ん」 「それはそれは……守堂達の件が策略の一つだったとは」  暴漢達が驚いて振り返る。そのタイミングに合わせて毛玉が暴漢の顔に張り付いた。 「うわっ! んだこれ生温かくて気持ち悪ぃ!」 「アホ、落ち着け。ペットだろ」  もう一人の片割れが飛倉の首根っこを掴むと廊下に叩きつけた。飛倉から「キィッ」と苦しげな声が飛び出す。 「服まで着て……番犬気取りの小動物か?」 「ちょ、ちょっと待……喋ってた! 絶対喋ったって!」 「今更何を言ってる。ここは半妖の巣窟。そういうのだって居てもおかしかない」  冷静な方の男が懐から匕首を取り出して鞘を引き抜いた。 「ほら……よく見りゃ鼯っぽいな。野襖か――或いは」  倒れる飛倉に体重をかけながら掌で押さえつけ、刃先を向ける。 「百々爺」 「如何にも」    突如廊下にもくもくと煙が溜まり、飛倉の姿がその中に消えた。この人知を超えた現象に男は目を見張り刃を振り下ろす。だが、手応えが無い。恐る恐る煙から手を抜くと――毛玉を押さえつけていた左手に己の得物がざっくりと刺さっていた。   「――!!」 「お前何やってんだよ!」  飛倉に飛び付かれた方の男も事態を理解し始め、立ち込める煙の中で臨戦態勢を取っていた。   「得物も振るう相手を捉えられなければ意味を成さんな」  低い、嗄れた、それでいて艶のある声が響く。その声の方へ刀を振るうと、煙の一部が布のように切り落とされた。  そこに居たのは、燕尾服を着た古希を過ぎたであろう男性だった。口髭で口元を隠していて、柔和な印象を与えるはずなのに煙を介して殺気が伝わってくる。彼が左脚に括りつけていた杖を抜き、不敵に笑うと目元やほうれい線の皺が深くなる。それがまた彼の円熟さを醸し出していた。 「クソッどうなってんだよ……!」  刀の軌道は確実に老執事の頭を切り裂いた――ブシュッ、と嫌な飛沫が飛ぶ音が聞こえた。だが、その直後にボタッと床に物が落ちる。 「――あ゙……何……痛い痛い痛い!!」 「腕が落ちれば当然のこと」  今の状況を正しく理解しているのは老執事だけだった。ドスを握りしめたまま床に落ちた腕を、足で蹴る。その手には杖――ではなく、刀が。杖には刀が仕込まれていたのだ。素早く振り、刃に滴った血を払う。 「そ、その服……さっき、の……」  患部付近を掴みながら呻いて男は気絶してしまった。  彼の言う通りだった。この老執事は飛倉と同じ意匠の燕尾服を纏っていた。 「その仕込み刀……小動物の正体が……妖狩りの飛倉……?」 「私の事を知っていたか」 「ふざけんなっ! あんな惨状を作り上げておいて……老けてようがアンタの顔を忘れられるはずがない!」 「……惨状? こちらが半妖である事を理由先に引き金を引いたのはそちら。私は死なんように立ち回っただけの事」 「っ、この、この! クソ爺! 早く枯れ腐ってろよ!」 「百々爺の血を引いてる私が、老いるだけで枯れ果てるわけなかろうが」  暴漢は震えながら匕首を構えて突進してくる。飛倉がかわし燕尾服が翻る。   「帰って頭目に伝えろ。次があれば妖狩りの飛倉が滅ぼしに行くぞ、と」    腕に刃が突き刺さると、指先に向かって肉が裂かれていく。痛々しい悲鳴が屋敷中に響き渡った。 ◆◇   「大変面目ない……」 「お嬢様も屋敷の皆も、貴方達も全員無事だった。それで良いではありませんか」  守堂は眉を下げたままほんの少し笑って「飛倉殿には敵いませんよ」と呟いた。彼の視線の先にはモモンガに戻った飛倉が机に座り込んでいた。守堂が帰ってきたのは空が暗くなってからの事で、その頃には屋敷の片付けは終わっていた。 「やはり飛倉殿に頼んで正解でした」 「いや、私が仕事を増やしてしまったようなものだ」 「謙遜なさらずとも。屋敷もお嬢様も無事だったのは貴方の手腕があったからですよ」 「はは……」 「皆が、飛倉殿を必要としています。今回のように俺もね」    飛倉がチィ、と鳴いて目を丸くする。 「百々爺の血を引く貴方に引退は早すぎるでしょう」 「何故それを」 「見ていれば何となく」 「いやはや……」 「貴方が居なくなればメイド達が寂しがりましょう」  飛倉は答えはしなかったが否定もしなかった。その時、元気なメイド達がやって来る。 「百おじいちゃん、お茶会しよっ! 今日は皆を助けてくれたおじいちゃんの為にたーくさんっケーキ作ったからね!」
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