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 行き交う人々はどこまでも奇妙だ。牛に似た生き物、翼の生えた浴衣姿の女性、喋る猫を肩に乗せた少年……。  その合間合間にひなたの後ろ姿が見え隠れしている。俺は見失わない様に集団を掻き分けた。  「ひなた!待ってくれ!」  叫びながら、心のどこかで冷静な自分が冷ややかに問う。  ──今更何を言うつもりなんだ?どうせこれは夢なんだ。何を言っても自己満足に過ぎないじゃないか。  それでも無我夢中で追いつこうと走り続けた俺は、いつの間にか開けた場所へ辿り着いていた。  左右に並んでいた屋台も、あれだけごった返していた奴らもいない。先程とは打って変わって静寂が辺りを包んでいた。  祭りの会場なら中央に(やぐら)が立っているようなその場所に、小さい向日葵の花畑が広がっている。  風に(なび)く向日葵は、枯れかかっているのか、どれも下を向いていた。  ひなたは俺に背を向けたまま、萎れかかった向日葵畑に立っている。風が吹く度にヒグラシの声が大きくなる。  「ひなた、俺は──」  「もう忘れてもいいよ」  ざあ、と揺れる向日葵の向こうで、ひなたが呟いた。  「覚えてるから、辛いんだよ。でも、このお祭りで最後だから」  記憶が消えていく時、その記憶は祭りを始める……。さっきイタチの店主から聞いた話が脳裏によぎる。もしかしたら俺はひなたのことを完全に忘れてしまうのかもしれない。 「嫌だ」  咄嗟にわがままを言う子供みたいに頭を横に振る。  「辛くてもなんでも、思い出まで消したくない。忘れたくないんだ。思い出を犠牲にして生きていくのは、もう嫌なんだよ!」  年に一度も思い出さなかった。時々罪悪感がちらっとよぎるだけで、それもさっさと記憶の奥底へ仕舞った。  今更覚えていたいなんて虫が良いにも程がある。それでも俺はひなたに向かって宣言した。  「夏の終わりに君を思い出すよ。これからずっと」  ヒグラシが鳴き止む。  再び風が吹いて、枯れかかった向日葵を揺らす。  「……ありがとう」  俺に背を向けたままのひなたは、あの頃の優しい声でそう言った。  そして俺が何か言う前に、世界は暗転した。  ***  はっと気がつくと、俺は遊歩道の入り口に立っていた。  まるで何時間もそこにいたかのような気分だったが、汗はそこまでかいていない。温い空気と空の色で、今度こそ本当に夕方なんだとわかった。  俺は道の側の花壇に腰掛けて、項垂れた。  ──夢と言うにはリアルすぎる。確かに俺は今まで小柳ひなたの事を忘れて生きてきた……と言うより、『無かったこと』にしたかったのかもしれない。  人は忘れ去られた時に本当の死を迎えると言う。一時も忘れずにいる事はできないかもしれないが、それならせめてこの季節に彼女がいた事を覚えておきたい。  自己満足でもいい。彼女がくれた時間に、少しでも報いることができればいい。    のろのろと立ち上がって営業車へと戻る途中、展望台の先で何かが光った。  木の柵の向こう側、地平線にへばりつく海の近くで、光の花が爆ぜる。展望台から見る花火は小さく、遠すぎるのか音もあまり聴こえない。その代わりのように、俺の胸ポケットに入っていたスマホがけたたましく鳴った。  「おい、今どこにいるんだ!もう帰社時間だぞ!」  上司の声が耳に障る。俺はすぐ戻りますとだけ伝えて電話を切り、展望台の柵にもたれ掛かって、静かな光の向日葵をぼんやりと眺め続けた。
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