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変わらない賑わいを見せる城下町に、財布片手に気の向くまま街をぶらつくヴォクシスの姿があった。
病院から出られないカルディナに、せめて何か買ってあげようと思い立ったものの彼女の好みそうな物が分からずに歩数だけが増えていた。
「あら?ヴォクシス様じゃないの」
その声に目を向ければ、お洒落な鍔広帽に素敵なトレンチコートの美女が上品に手を振っていた。
「ビビさん…!お久しぶりです!」
思わぬ場所での再会に、笑みを零した。
彼女の名はビビ・ラパン。
とあるバーのステージでしか歌わない魔性の歌姫として巷では密かな有名人である。
けれど、昼の姿を知る人は少なく、その素性を知る者は更に限られる。
「最近お店に来ないから、どうしたのかと心配してたんですよ?」
「ははっ、申し訳無い…」
困ったように自身の頭を撫でつつ恐縮する彼に、ビビは何かを察した。
頭を触る彼の癖が示すものは、長い付き合いだからこそ知っている。
「良ければ、お茶しません?悩み事は人に話すのが一番よ?」
そう妖艶にウインクした彼女は半ば強引に彼の手を取り、近くの喫茶店へと飛び込んだ。
「…噂で聞いたわ。お嬢さん、軍に利用されてヤバいことになってるんですって?今、クロスヴィッツ病院に隔離されてるとか」
席に就いて注文を済ませた途端、彼女は密かに訊ねた。
一体何処からその情報を仕入れたのか―――。
思わず顔を強張らせた彼に、ビビはテーブルに肘を乗せて頬杖しながら小首を傾げた。
「私は魔女のビビよ?バー・アディは軍人さんだけでなく、こわーいお偉いさん達の憩いの場…、ヤバい話の一つや二つくらい慣れっこよ。貴方だって私の情報網を利用してる癖に…」
誂うように笑う彼女に、呆れたようにヴォクシスは溜息を零した。
ここだけの話、彼女は情報屋でもあり、巷の下らないゴシップから国内外の政界機密まで取り扱う。
「軍関係はあまり首を突っ込むと危ないですよ?アディオーナーとご結婚されたのだし、身の振り方は気を付けないと…」
「あら、情報早いわね」
意外とばかりに呟く彼女だが、手には真新しい指輪が光っている。
当たり障りなく、同僚から聞いた事を述べた。
「ケジメで籍を入れただけよ。オーナーとはもう腐れ縁でね…。情勢が落ち着いたら兄の墓前に挨拶行かないと…」
届いたコーヒーにミルクと砂糖を入れながら、ビビは戯けるように肩を竦めた。
「………、ラパン少尉は喜んでいるでしょうね…」
言葉を選んだが、結局そう言う他なかった。
彼女の兄ラパン少尉は、ヴォクシスのかつてのバディだった。
バディであり―――、誰よりも信頼出来た先輩だった。
「どちらかと言えば、何でそいつなんだと怒られそう。兄さんったら貴方が独り身だったなら私とくっつけたかったみたいだし」
その言葉に衝撃のあまり、口に含んだエスプレッソを吹き出した。
「安心して。私年下には興味ないから。第一、王子様なんて柵が面倒くさ過ぎて荷が重いわ」
紙布巾を差し出して、ビビはばっさり言い放った。
内心ホッとしつつも、それはそれで中々に傷付くものである。
今日はいつも以上に舌の毒が強い。
「…フォンデ出身として貴方とお嬢さんには感謝しているわ。だからこそ腹立たしいの」
不意に告げられた言葉に、口元を拭きながら視線を彼女に戻した。
ビビは徐ろにポーチを手に取ると、そこから一枚のメモを取り出した。
書かれているのは国外某有名報道機関とそこに所属する複数名の記者の名前、そしてそれぞれの連絡先である。
「この二十年、あの襲撃から私達の時間は止まっていた…。だけど、貴方達が故郷を奪還し、私達に歩み出す機会と勇気をくれたの」
声色は淡々としながらも、その瞳は強い怒りの炎を燃やしていた。
彼女は帝国に占領された街から逃げてきた一人であり、愛する家族を奪われた被害者だった。
しかし、ヴォクシス達とは違い、その怒りと悲しみを抱えながらも唯、現実から逃げる事しか出来なかった力の無い者だった。
「このジャーナリスト達は私達の声を会心の一撃に変えてくれるわ。ヴォクシス様なら上手く使える筈よ」
そう告げ、彼女はメモをずいと差し出した。
戦争好きの馬鹿どもに、反撃を食らわしてやってくれ―――。
そう怒れる目は訴えるように、強い意志を宿していた。
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