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『はじまりの章』
ぷかぷかと 揺蕩う
水の上で舞い漂う花びらのように優しく
水の底で消えることなく燃える炎のように熱く
”肉体”と肉体を包む透明な静寂で作られた”二重の牢獄”で”魂”だけは、眠りながら灼け焦がす――永久に等しく――。
いやだ――たすけて――!
閉ざされた世界が開いたと同時に、無意識のまま叫び声を零した。
霞がかった意識でじわじわと感じられたのは、脳が凍てつくような目眩と寒気、心臓が灼けつくような動悸。
全身は雨を浴びたように汗でびっしょりと濡れ、肌に張り付く絹の感触に熱いのに凍えそうになる。
己の身と心に表れている現象は凄まじい”恐怖”と緊張、そこから抜け出せた言いようのない”安堵”だ。
己の肉体が訴える感情をようやく認識できたのは、手足の感覚と視界を支配するくらい回復してきた頃だった。
それでも、此処が何なのかを知ることは叶わなかった。
辛うじて思い出せる最後の記憶は、恐ろしい光景だった。
意識を失う直前、自分は沈められたのだ。
”透明な棺桶”へ生きたまま収納され、冷たく凍える海の底へ沈められた自分の瞳には遠くの青空が見えていた。
どのくらいの時間か定かではないが、随分長いこと眠っていたのだろう。
実際、手足は拘縮していたらしくて動かし辛いうえ、筋肉は鈍い痛みに軋んだ。
泥湖から這い上がるように身体を起こしてみると、羽毛布団の柔らかな弾力に押し返されそうになってよろめいた。
霞の晴れてきた視界で周りを観察してみる。
白地に青い薔薇模様の咲いた布団に清雅な青色に艶めく繻子織の天幕で包まれた天蓋付き寝台。
百年ものらしき艶栗色の卓上とお揃いの椅子や本棚、森緑に金の縁が煌めく洋箪笥、白百合色に輝く化粧台までいかにも高級な家具が並んでいる。
くすんだ乳白色の石造りになっている壁一面からも、まるで英国の古城ホテルの一室を彷彿させた。
今とは異なる状況であれば、中世★欧州へ時間旅したような光景に胸は踊るだろう。
しかし、当然ながら今の自分は自分と言う感覚すら曖昧で、此処に至るまでの記憶が真っ新な状況にあるため楽観的になれるはずもなかった。
幸い手足は縛られてはいないが、誘拐拉致という最悪の可能性も視野に入れるべきだ。
早鐘を打つ心臓とは対照的に、頭は妙に冷静だ、と内心自嘲しながらも高級な絨毯の上へ足をつけた。
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