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第6話 奪還
ベルの音に、店内にいた全員の視線がドアに集まる。
そこに立っていたのは、黒のパーカーと黒のジーンズで固めた全身黒尽くめの長身の男だった。
フードを目深に被っている為、表情が全く窺い知れない。
「今日は貸し切りだよ。帰った、帰った!」
入り口近くにいた若いギャングが面倒臭そうに男に近寄り、出ていくようその胸の辺りを無造作に手で押した。
男がそっとその手首の辺りに触れると、ギャングはゆっくりとその場に崩れ落ちた。
黒尽くめの男は、平然とそこに立っている。
その姿は、まるで死神だ。
一瞬の間の後、近くにいた他のギャング二人が男に詰め寄った。
「てめぇ、テツに何しやがった!」
「ぶっ殺すぞ!」
だが、新たに近寄ったギャングたちが男を付き飛ばそうと手を伸ばした瞬間、男は今度はその手を微かに捻った。
何が起こったのか。
次の瞬間、ギャングたちの天地が入れ替わった。
一瞬で頭が床を向き、足が天井を向いた。
「あ……れ?」
二人揃って仲良く床に落ちると、ピクリとも動かなくなった。
二人とも白目を剝いて昏倒している。
事ここに至って、ギャング全員が何か異変が起こっていることを理解したようだ。
ビリヤードを楽しんでいたギャングたちが一斉に男に殴りかかる。
だが、男は何事も起こっていないかのように、その手をわずかに動かしながら奥に向かって歩いた。
見た感じ、男はただ歩いているだけだ。
にも関わらず、突っ込んでいったギャングは、次々とその場で宙を舞う。
そうして床に倒れたギャングたちは、ただ一人の例外も無く失神していた。
女たちは悲鳴を上げ、一斉に壁際に逃げた。
あっという間に男たちは気絶させられ、残りは沙良を伴って奥のソファに座っていた幹部ギャング三人だけだ。
三人とも立ち上がる。
「てめぇ、どこのもんだ! 俺たちを海東スパイダースと知って襲撃に来てんのか!」
「俺たちのバックにはヤクザが付いてんだぞ! ただで済むと思うなよ!」
左右の二人が懐からナイフを取り出す。
なかなか構えが堂に入っている。
何人もそのナイフの餌食にしてきたようで、扱いもかなり手慣れているようだ。
男は黙ってビリヤード台に近寄ると、置いてあったキューを一本、左手で取り、尻ゴムを下に真っ直ぐ床に立てた。
何のつもりかと、周囲の視線が集まる。
次の瞬間、男はヒュっと鋭く息を吐きながら、右手でキューにチョップした。
スカーン!
綺麗な音を立て、キューは中ほどから切断された。
折れたのでは無い。斬られたのだ。
皆の目が丸くなる。
それはそうだろう。
こんな不安定な状態でこんな固いものを、たかが手刀で切断したのだ。
男は一メートル程度の長さになったキューの欠片をその場でヒュンヒュン、無造作に振り回すと、ナイフを持ったギャングたちに向き直った。
「こんなもんかな。さ、御託はいいから掛かっておいでよ」
思った以上に若い声だ。
その声に聞き覚えがあったのか、沙良が息を呑む。
「ほざけぇ!!」
二人の幹部ギャングが男に近寄った瞬間、バトンのように素早く回転した男のキューの先端が、左側のギャングの顎に当たった。
ギャングが、操り人形の糸が切れたかのように白目を剝いて崩れ落ちる。
顎への攻撃で脳震盪を起こしたのだ。
右側のギャングがビックリして相方の方に振り返った瞬間、男の右のミドルキックがその手からナイフを吹っ飛ばした。
ナイフが壁に突き刺さり、女たちが悲鳴を上げる。
ギャングが慌てて男の方に振り返った瞬間、今度は男の左のハイキックが綺麗にギャングの右頬に決まり、ギャングはまるで独楽のようにギュルギュルっと回転しつつ、壁に激突した。
余程の衝撃だったのか、ギャングは折れた歯と泡を吹いて動かなくなった。
男は口笛を吹きつつ視線をボスに移す。
「ずいぶん呆気なかったな。んで? あんたがラスト? もうちょっと楽しませてくれないかな」
男の挑発に、だがボスは殴り掛かることはせず、懐に手を突っ込んだ。
殺気を感じたのか、男はいきなりその場に伏せた。
タン! タン!!
ギャングのボス・タケシは、どこで手に入れたものか、懐から取り出した銃を男に向けると、間髪入れず発砲した。
人に向かって撃つのが初めてでは無いようで、その動きに躊躇いが感じられない。
ヒュっ! スコーン!
咄嗟に目を瞑って床に伏せていた沙良の耳に、妙な音が聞こえた。
その場に伏せたままそっと目を開いた沙良の目の前に、ちょうど沙良と向かい合う形で、白目を剥いたボスのタケシが倒れてきた。
「きゃあぁぁぁぁ!」
沙良は思わず悲鳴を上げてソファの上に駆け上って避難した。
黒尽くめの男が沙良の傍に駆け寄ると、心配そうに問い掛けた。
「おい、落ち着け。大丈夫か?」
「ビックリした! ビックリした! ビックリしたんだからぁ!!」
沙良は目の前の男に抱き着くと、その胸をポカスカ殴った。
「ごめん」
「ううん。……ありがと、助けにきてくれて。……和谷クン」
「無事で良かったよ、委員長」
黒尽くめの男・颯太は、フードを取って沙良に微笑みかけた。
颯太の爽やかイケメン顔を間近に見た沙良の顔が、みるみる赤くなる。
「ぼ、ぼぼぼ、ボスは?」
途端に真っ赤になる顔を悟られぬよう、沙良は慌てて颯太から離れ、ギャングのボスの様子を確認した。
その額に、綺麗に丸いアザができている。
どうやら颯太の投げたキューが額にクリティカルヒットしたようだ。
「さ、行こう」
「うん」
颯太と沙良は、店の者たちを起こさぬようそっと店の入口に向かった。
店を出ると、颯太はそのままプールバーの真正面の電信柱に近寄り、そこに繋いであった自転車の鍵を開けた。
なんと颯太は大胆にも、襲撃を仕掛けた店のド真ん前に自転車を停めていたのだ。
颯太は愛用の赤い自転車に跨ると、沙良を呼んだ。
「片桐飯店まで送るよ。後ろ乗って」
沙良が躊躇する。
「え、でも、二人乗りは道交法的にちょっと……」
「そんなこと言ってる場合か? いいから乗れって」
「はいはい」
沙良は荷台に座ると、後ろからギュっと颯太に抱きついた。
颯太はそれを確認すると、ペダルを踏む足に力を込めた。
◇◆◇◆◇
沙良と颯太の帰還に湧き立つ片桐家の面々とは対照的に、チンピラ・ヒロシの表情は硬くなっていた。
信じられないといった表情でしばらくその様子を眺めた後、店の隅に行ってどこかに電話を掛け始めた。
「てめぇ、タケシ! 何やってやがんだ! 遊ばすためにてめぇらを飼ってんじゃねぇぞ?」
語気荒く、ヒロシがスマホに向かって怒鳴りつける。
「なに? 黒尽くめの男が単身乗り込んできて奪われたぁ? どこのもんだ。……分からねぇってあるか! ぶっ殺すぞ! う?」
ヒロシが周囲の視線に気付く。
片桐家の面々五人と、和谷家二人、計七人の目がヒロシに集中している。
ヒロシは素知らぬ顔を装って、さっきまで怒鳴りつけていたスマホをズボンのポケットに突っ込んだ。
ヤクザ・雷門がゆっくりと、座っていた椅子から立ち上がった。
「お嬢さんが無事で良かった。遊びたい盛り、気持ちは分からんでもないが、ご両親を心配させてはいけない。夜遊びは程々にすることですな。じゃあ片桐さん。とりあえず私らも、今日のところはお暇させて頂きますよ。また後日改めて」
沙良が反射的に何か言い返そうとするのを、颯太は目線で止めた。
それを後目に、ヤクザたちは悠々と店を出ていった。
◇◆◇◆◇
店を出た颯太は、眠い眠いと連呼しながらも、しっかり自転車を漕ぎながら帰っていった。
それを見送ると、達郎も車に乗り込んだ。
考えねばならないことは、いくつもある。
今回の誘拐は防げたが、おそらく敵方は、その手を緩めることは無いだろう。
――それにしても、あのヤクザ、どこかで……。
思い出そうとしたが、なかなか正解が出てこない。
達郎は記憶力の良い方だが、なにせその経歴ゆえに今まで会った人の数が多すぎて、なかなかヒットしない。
考えを巡らせながら、達郎はゆっくり、車を発進させた。
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