癒しの国

2/2
前へ
/2ページ
次へ
《ああ、少し混乱していらっしゃいますね。よくあることではあるのですが》 「説明してくれ。正直全く頭がついていけない」  かしこまりました、と声は答えた。 《ここは癒しの国なのです》 「癒し、だって?」 《誰もがみな、大切な人を喪うと大きな心的外傷を負います。もう一度、あの人に会えたら。それが古来から続く、人類の根源的な願いです。オルフェウスやイザナギの話を聞いたことがあるでしょう》  正直、頭がぼんやりしていて全く、どんな神話かは思い出せなかったが、続けるように促す。 《このオルフェウス・プロジェクトによって生み出されたのは、そんな人類の願いを叶えるバーチャルリアリティ空間です。ここに来れば、喪われた大切な人に、いつでも会うことができる》 「それでも、目覚めたら一人、というわけだろう?」 《確かにそれは否めません。それでも、ここで何度も邂逅を重ねるうちに、自分の人生を前に進めるようになる》  最初は半信半疑だったが、徐々に興味が湧いてきた。「どんな場面でも、可能なのか」 《もちろん。結婚式でも、子供が産まれた日でも、思い出の旅行でも。また、過去ではなくて、あなたが行きたいところに一緒に行くこともできます》  そう聞かされると、胸が高鳴った。妻子を喪ってから、俺は仕事にのめりこんだが、どこか空しく、俺の中の世界はずっと色褪せていた。妻や子を伴って、見せてやりたい景色ならいくらでもある。一緒にならば、俺の世界もまた色づいて見えるのではないか。 「よし、じゃあ……」  俺はどこへ行こうかと、頭を巡らせ始めた。 ***** 「彼は孤独だったんですね。正直、涙が出そうになりました」  画面を眺めながら話す医師の言葉に、オルフェウス・プロジェクトの技術者は深々と頷いた。 「いくら大富豪でも、心には満たされないものを抱えているものです。この仕事をしているとよく感じます」 「癒しの国、とはよく言ったものだ。あなた方のプロジェクトは、だ」  目の前には頭に電極をつけ、身体にモニターと点滴が繋がれた老人が眠っている。 「AIの力を借りて、最期に望み通りの幻想を見せ、多幸感に包まれたままあの世にいけるなんて」 「お褒めにあずかり光栄です」  二人の目の前の画面には、どこまでも広がるエメラルドグリーンの海と、砂浜を歩く親子三人の姿が映っている。そこはまるで常夏の楽園のようで。 「これを今、彼は体験しているのですか」  そうです、と技術者は頷いた。「……ああ」と、だが悲し気にため息をもらす。  心電図モニターの波が徐々に少なくなり、ついに一直線になった。  画面がふっと消える。 「ご臨終です」  医師は静かに言った。 (了)
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加