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《ああ、少し混乱していらっしゃいますね。よくあることではあるのですが》
「説明してくれ。正直全く頭がついていけない」
かしこまりました、と声は答えた。
《ここは癒しの国なのです》
「癒し、だって?」
《誰もがみな、大切な人を喪うと大きな心的外傷を負います。もう一度、あの人に会えたら。それが古来から続く、人類の根源的な願いです。オルフェウスやイザナギの話を聞いたことがあるでしょう》
正直、頭がぼんやりしていて全く、どんな神話かは思い出せなかったが、続けるように促す。
《このオルフェウス・プロジェクトによって生み出されたのは、そんな人類の願いを叶えるバーチャルリアリティ空間です。ここに来れば、喪われた大切な人に、いつでも会うことができる》
「それでも、目覚めたら一人、というわけだろう?」
《確かにそれは否めません。それでも、ここで何度も邂逅を重ねるうちに、自分の人生を前に進めるようになる》
最初は半信半疑だったが、徐々に興味が湧いてきた。「どんな場面でも、可能なのか」
《もちろん。結婚式でも、子供が産まれた日でも、思い出の旅行でも。また、過去ではなくて、あなたが行きたいところに一緒に行くこともできます》
そう聞かされると、胸が高鳴った。妻子を喪ってから、俺は仕事にのめりこんだが、どこか空しく、俺の中の世界はずっと色褪せていた。妻や子を伴って、見せてやりたい景色ならいくらでもある。一緒にならば、俺の世界もまた色づいて見えるのではないか。
「よし、じゃあ……」
俺はどこへ行こうかと、頭を巡らせ始めた。
*****
「彼は孤独だったんですね。正直、涙が出そうになりました」
画面を眺めながら話す医師の言葉に、オルフェウス・プロジェクトの技術者は深々と頷いた。
「いくら大富豪でも、心には満たされないものを抱えているものです。この仕事をしているとよく感じます」
「癒しの国、とはよく言ったものだ。あなた方のプロジェクトは、究極の緩和ケアだ」
目の前には頭に電極をつけ、身体にモニターと点滴が繋がれた老人が眠っている。
「AIの力を借りて、最期に望み通りの幻想を見せ、多幸感に包まれたままあの世にいけるなんて」
「お褒めにあずかり光栄です」
二人の目の前の画面には、どこまでも広がるエメラルドグリーンの海と、砂浜を歩く親子三人の姿が映っている。そこはまるで常夏の楽園のようで。
「これを今、彼は体験しているのですか」
そうです、と技術者は頷いた。「……ああ」と、だが悲し気にため息をもらす。
心電図モニターの波が徐々に少なくなり、ついに一直線になった。
画面がふっと消える。
「ご臨終です」
医師は静かに言った。
(了)
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