君だけを

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第2章 君だけ 「ピアノ弾かれるんですね。」 隣に座った子がいきなり話しかけて来た。 「なんで?」 「ばぁか・・お前うるさいんだよ。」 その子の隣に座ってる男子学生がその意味を教えてくれた。 「あ・・ごめん。」 癖で、というか、講義に集中してくると、左手の指が勝手に机の上で、カタカタと素早く動き回る。 それがまるでピアノを弾いているように見えるので、僕はいつしかピアノを弾けるということになっている。だからって何も特別なことじゃないし、せいぜい学園祭でバンドをやろうという話が出た時に、キーボードやってとお願いされるくらいのことである。そういう経験はまだないが。 「でもピアノじゃなくて、ギターなんだ。」 僕は何故か素直にそう言った。え? という顔になって、そして笑顔になった。この子かわいいと思った途端、また俺の指が動いた。 「うるさいなあ。」 また隣のあいつ。あいつはこの教室に入って来た時に手を鳴らしたやつだった。ああいうのには関わらない方がいい。 3度会ったら、運命の人だと思え・・なんて何かの本で読んだけど、同じ学校の学生なら、そんな3度の出逢いなんてもう無数にある。その時会った子だって、既にこの講義で何度か見てるし、学食や生協の雑誌コーナーでも、1、2、3・・・。とにかく3度は確実に超えている。でも、その子にはいつもあの気に入らないあいつが傍にいた。いつもその子の傍にいるから気に入らないのか、それとも気に入らないやつがたまたまその子の傍にいるのか、まあどっちにしても、僕が彼女の傍に歩み寄れる余地はなかった。 チャンスが訪れなければ、自分で作れ。そんなことも何かの本で読んだ気もしたけど、そんなことを言われても、無理やりそんなチャンスを作ったところで、結果がうまく行ったためしはない。 僕は平凡な学生らしく、平平凡凡な学生生活をそのまま進めるだけの存在だった。 それが或る日、何の話か学生課から呼び出しを受けた。この時期に単位や出席日数がどうだということはあり得ないけど、でも、よくわからない呼び出しにかなり焦ってはいた。 試験だってこれからだし、講義には一応出てる・・はずだし。 あんまり行きたくない場所として、 学生課 学部事務室 教授研究室 歯科診療室 そうそう僕の学校には学内に歯医者があって、そこで治療する学生を見たことがある。 なんで学校の中に歯医者がと思ったけど、やっぱりあれば便利なのかなとも思ったけど、あの音が嫌で、学校の中にあろうが僕はやっぱり行きたいとは思わなかった。 ある時、その歯医者に通ってるっていうやつに、「お前よく学校の歯医者に行けるなあ。」って言ったら、それは歯医者によく行けるっていう意味か、それとも特に学校の中にある歯医者を選んだことが、奇異だということかと聞かれたが、どちらでもないと言うと、じゃあどういうことなのかと聞いて来たので、「あの音が嫌なんだよね。」と答えた。 やつが、「うんうん。それはよくわかる。」と言うので、「最近は治療中にクラシックなんかを聴かせる気取った歯医者がいるけど、まったくおかしい話で、あの歯を削る際の金属音に合うのは、ヘヴィメタじゃないか。」と言うと、呆れて笑っていた。 でも、クラシックにあの摩擦音は完全にミストーンだと思う。あの音が調和する音楽はヘヴィーメタルしかあり得ないと思う。もし、ヘヴィメタの音楽を流す歯医者があれば、僕は迷わずそこに通うんだけどなあと真面目にそう思う。 話が脱線した。 学生課に行くと、そこにあの子がいた。これが偶然の出逢い? ということなのかと思ったが、彼女がこちらを一瞥し、軽く会釈をしたのを見て、これは偶然ではないと悟った。その証拠にいつものあいつがいない。あいつがいないということは、彼女が仕組んでこの顔合わせになったに違いないと思った。 学生課の先生というか、職員が話しかけて来た。 「小町君。君、ギター弾けるんだって。」 誰からそんなことを聞いたんだ。 「この豊田さんから聞いたんだけど。」 え・・ 「今度、うちの学校に交換留学生の提携をしているフランスのコンセルヴァトワールから、 バロックの音楽交流会と題して、何人かの学生が演奏をしに来るのは知ってるね?」 まったくの初耳・・ 「そこで、うちの学生の中からチェンバロ奏者に選ばれたのが、この豊田さん。」 彼女が・・・ 「彼女は実に優秀な学生で・・。」 彼女がもういいですよとその職員を制して、そして代わって言葉を続けた。 「私、チェンバロとギターの協奏曲を演奏しようと思ってます。」 ああ、そうなんですか。 「そこで、小町君がギターをやってるって知って。」 はあ? ・・ 「え・・。」 おいおい・・ 「うん。それでその詳しい話をということで、今日ここに来てもらったんだけどね。」 気を失いかけた。 「でも、僕そんなとっても。」 「遠慮なさらなくてもいいんですよ。」 これは何かの夢か。いったい何が起こっているんだ。どうしてフランスからのお客様とやり合う演奏会に僕が出演しなくてはならないんだ。 と言うか、そんなのに僕が出ていいのか? 思いっきり恥さらしじゃないか。それは、僕だけでなく、彼女も、学校も恥をかくことになるんだぞ。 「小町君の実績は提出資料がないのでわからないけど、この豊田さんの推薦なら、間違いないということで、是非お願いしたいのだけど。」 「え・・無理ですよ。」 「何か御都合でも?」 「いやそういうわけでは・・。」 ギターなんて、それはまったく弾けないわけではないけど、そんな人様に聴かせるレベル以前のもので、ましてや学校の名誉がかかるような、そんな演奏会でなんてとっても無理。 「お忙しいのはわかります。夏休みとか、ヨーロッパとかにプチ留学とかされるのかもしれませんが、是非お願いします。」 それは君のことだろう。 学生課の職員ももしこれに参加してくれれば、こういういいことがあるとか、ありそうとか、考えてもいいとか、学長がどうだとか・・でもそれは雑音でしかなかった。 僕の頭では、そのコンサートまでは、ずっと彼女と思いっきり近い距離でいられる・・そのことと、ギターを僕がそんな大舞台で演奏するということが天秤にかかっていた。 僕の名誉はどうでもいい。学校の名誉も、それもどっちでもいいかもしれない。でも彼女の名誉は守りたかった。彼女の名誉と彼女と過ごす時間が、いままさに天秤の上にかけられていた。 しかし結局、恥をかくのは僕であって、彼女ではない。そういう結論に達したら、僕は彼女に「一緒にがんばりましょう。」と言っていた。そして学生課の職員にも「是非やらせてください。」と答えていた。 それから秋のそのコンサートまで僕は彼女の隣のプラチナチケットを、こうして手にいれることが出来たのだった。 それから学食の隣にあるカフェへ彼女に連れられて行くと、演奏する課題曲について話をされ、バッハのなんとかという曲を、チェンバロとギターのデュエット用に、彼女の先生がアレンジしてくれたものを弾くということになった。 バッハくらい知ってたけど、その後に出てきた作曲家はまるで聞いたことがなかった。 あんまり一所懸命に彼女が話すものだから、僕がうんうんとしっかりと目を見て、真剣にうなづいていると、さすが小町さんですね、バルトークがやっぱり新古典主義ととらえているのですね・・と話が勝手に進んでいた。 僕はどうしても聞いてみたいことがあった。それは、どうして僕を選んだのかということだった。僕はピアニストとしては有名だったかもしれないが、ギタリストという話はまるで聞いたことのない噂だった。 「小町さん、だってあの時、ギターをやってらっしゃるって。」 おいおい、あの時かよ。 「私ね。これでも同年代はおろか、けっこう世代の上の方でも、私以上の方はいらっしゃらないという、身に余る評価をされているの。だから、私に楽器が弾けますなんて、そんな勇気のあることをおっしゃる方がいなかったの。あ・・ごめんなさい。小町さんが、ずうずうしいとかそういうことではなくて、私、実力があるならそれはちゃんと評価されるべきものだと思うタイプで、だから嬉しかったの。堂々としかも、素直にああ言ってくれて。」 おいおいおい・・めちゃめちゃ勘違いしてるよ。 「なので、小町さんの実力はわかったの。そして、小町さんとなら絶対上手く出来ると思ったの。だから私も決心したのよ。そういう意味でお礼を言いたかったの。一緒に演奏してくれるって言ってくれて、ありがとう。」 彼女の眼には涙が潤んでいた。もうやめられないと思った。 「うん。僕で良ければ。」 これからどうなっちゃうんだろうと思った。でも僕はやらなければならない。僕はこの時、君だけのためにやることを決心した。
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