君だけを

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第23章 第一の喪失 僕の記憶はそのあおいという女性の事故から失われたらしい。それは父から聞いた。 父の記憶が消えていないのが不思議だったけれど、どうやら辛い、思い出したくない記憶は自分が消してしまうらしかった。 どうやら僕にとって、その事故が、その人は事故で亡くなったらしいのだが、その記憶が辛いものらしかった。 僕は高校3年生の時に母を亡くして、そして音楽でフランスに留学することをやめて、そして今の大学に入学した。はっきり覚えていないのだが、そういうことらしかった。その部分はまったく記憶が失われていたわけではなかったのだが、そういうことだと改めて父に聞いた。 そして、どうやってその場に居合わせたのかわからないけど、その人の事故の現場に僕がいた。どういう関係かと聞かれても、僕はわからなかった。 その人の家族もやがてやって来たが、僕にはそうだと言われただけで、その人の家族もわからなかった。事故の証言をと言われたが、それも記憶になかった。 やがて時間が流れて警察の捜査もあきらめムードになってしまって、それから僕はその人の家族や警察から解放された。 僕の記憶もその死亡事故を目撃したからだということで、特にその人が自分とどうだということではなくて、それで失われたものだと診断された。 やがて事故の目撃という衝撃が薄れていけば、記憶は戻ると言われた。きっと母の死という辛いことが僕の心を飽和状態にしていて、そしてその悲惨な事故の目撃という衝撃がその一線を超える出来ごとになってしまったのだろうと、そういうことだった。 僕は少し学校を休むことにした。敢えて休学届はしなかったが、留学をするという名目で学校には行かず、田舎の伯母の家にやっかいになっていた。 母の一周忌。僕はそれには出席しなかった。息子が母親の法事に出ないなんてあり得ないと言われたけど、未だ記憶が戻らない理由が、母の死に起因しているという医者からのアドバイスで父が法事への欠席を提案した。 僕も自宅で毎日母にお線香をあげていたし、留学をしているという建前でもあったので、また人前に出ることがあまり楽しくなかったので、それでそれに従うことにした。 法事には僕を知っているという女の子が出席を父にお願いして来たという話を聞いた。その話を聞いて、僕はますますそれに出るのが嫌になった。人に会いたくもなかったし、また学校の知り合いだったら、留学先から帰って来たのかとか、いらぬことをあれこれ聞かれそうで、そう考えると絶対行きたくなくなった。 やがて学年末になり、試験には出席することにした。学校に行くよりも家にいた方が勉強がはかどるというのも変な話だけど、却って雑音に悩まされることもなく、勉学に集中できたのは確かである。 そしてこの期間は学問だけではなく、楽器にも集中できた。本当にフランス留学をしていたみたいに楽器の腕もあがったように思えた。 こうした成果が自分をプラス思考にしたのか、4月からは学校に行きたくてたまらなくなっていた。そうして僕は2年次の科目を普通に履修することにしたのだった。 勿論その中に音楽論の科目はばっちり入れることにした。僕の新しいスタートになるからだと自分で自分に期待をした。
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